1991年の湾岸戦争、「砂漠の嵐」作戦では、空爆と地上戦という主要な軍事行動以外にも、戦後の中東情勢を大きく左右する数々の重要な展開がありました。ここでは、見落とされがちな6つの出来事を詳しく解説します。
1. 地上作戦:わずか4日間で決着
空爆作戦が成功を収めた後、多国籍軍は1991年2月24日、大規模な地上攻勢を開始しました。この地上戦の目的は、イラク軍をクウェートから追い出すことでした。空爆によってイラク軍が大幅に弱体化していたため、地上部隊は比較的軽微な抵抗しか受けずに進撃し、わずか4日間(約100時間)で作戦を完遂しました。
2. 停戦合意とクウェート解放
1991年2月28日、イラクは国連が提案した停戦合意を受け入れ、戦争は正式に終結しました。多国籍軍はクウェートを解放し、同国の主権を回復させました。ただし、一部の連合国メンバーがサッダーム・フセイン大統領の退陣を求めたものの、彼は最終的に権力の座に留まり続けることとなります。
3. 深刻な人道的危機
この戦争は、クウェートとイラクの両国に深刻な人道的危機をもたらしました。占領期間中、多くのクウェート市民がイラク軍による人権侵害や拘束を受けており、戦後には被害者への支援や救援活動が大規模に行われました。
4. クウェートの油田火災と環境破壊
イラク軍がクウェートから撤退する際、多数の油井に放火しました。これにより深刻な環境汚染が発生し、ペルシャ湾には大規模な原油流出がもたらされました。油田火災の消火活動は戦後最大級の取り組みの一つとなり、すべての火災を完全に消火するまでに数ヶ月を要しました。
5. 戦後の経済制裁と武器査察
戦後、国際連合はイラクに対して経済制裁を課し、国際決議の遵守を求めました。これらの制裁はイラクの経済と国民生活に壊滅的な影響を与えました。さらに、国連の武器査察官が派遣され、イラクの大量破ラクの大量破壊兵器計画の監視と解体が進められましたが、その後数年にわたり、査察をめぐるイラクと国際社会との対立が繰り返されることになりました。
6. シーア派とクルド人の反乱
戦争終結直後、イラク南部ではシーア派ムスリム、北部ではクルド人による反乱が相次いで発生しました。両勢力は中央政府からの差別と抑圧に強い不満を抱いていたのです。しかし、これらの反乱はサッダーム・フセイン政権の軍隊によって、多大な流血の中で鎮圧されました。
湾岸戦争が残した長期的な影響
以上の出来事は、「砂漠の嵐」作戦後の中東情勢を形作る決定的な要因となりました。経済制裁下での国民生活の悪化、武器査察をめぐる緊張、そして政権への不満が生んだ内紛などは、その後の中東における政治的課題や紛争へとつながり、地域のみならず世界全体に長期的な影響を及ぼすこととなったのです。