ケアフィリー城に住んでいたのは誰?
ウェールズ南部、カーディフの北に位置するケアフィリー城は、13世紀後半にギルバート・ド・クレアが築いた、イギリス有数の規模を誇る中世城塞です。その堅固な城壁の内側では、グロスター伯家の栄華と没落、そしてイングランド王室を揺るがす激しい政争が繰り広げられました。ここでは、この城ゆかりの主な住人・所有者たちを紹介します。
ギルバート・ド・クレア(初代グロスター伯、1243~1295年)
第6代ハートフォード伯リチャード・ド・クレアとグロスター女伯モード・ド・レイシーの息子。1262年にグロスター伯位を継ぎ、1268年にはウェールズに対する防衛拠点としてケアフィリー城の建設を開始しました。13世紀の政治抗争で大きな役割を果たした有力貴族であり、第2次男爵戦争では当初シモン・ド・モンフォールを支持したものの、後に王家側へ転じてヘンリー3世と和解し、以降は王権の忠実な支持者となりました。1295年に死去し、テュークスベリー修道院に葬られています。
ギルバート・ド・クレア(第2代グロスター伯、1291~1314年)
初代伯ギルバートと、エドワード1世の娘ジョーン・オブ・エーカーの間に生まれた息子。1295年に父の死を受けて爵位を継承しました。エドワード2世の親友にして有能な武将であり、スコットランド戦争にも従軍しています。しかし1314年のバノックバーンの戦いで戦死。未婚で子どもがなかったため、グロスター伯位は妹エレナーに引き継がれました。
エレナー・ド・クレア(グロスター女伯、1292~1337年)
初代伯ギルバートとジョーン・オブ・エーカーの娘。1314年、兄の戦死によりグロスター伯家の莫大な所領を相続しました。エドワード2世の寵臣ヒュー・ル・ディスペンサー(小)と結婚し、1326年にディスペンサー家が失脚すると一時は投獄されるなど波乱の人生を送りましたが、後に復権し、1337年にこの世を去りました。
ヒュー・ル・ディスペンサー(小)(1286~1326年)
有力貴族ヒュー・ル・ディスペンサー(大)の息子で、エドワード2世のお気に入りの一人。エレナー・ド・クレアとの結婚により、ケアフィリー城を含むグロスター伯家の広大な領地を手中に収めました。その権めました。その権勢は他の貴族たちの強い反発を招き、1326年、王妃イザベラとロジャー・モーティマーの軍勢に捕らえられて反逆罪で処刑されました。
エドワード2世(1284~1327年)
エドワード1世とキャスティルのエレノアの子で、1307年にイングランド王として即位。しかしピアーズ・ガヴェストンやヒュー・ル・ディスペンサー(小)といった寵臣に依存する脆弱な統治が災いし、貴族たちとの対立を深めました。1326年の王妃イザベラによるクーデタで廃位され、翌1327年に死亡しました。暗殺だったと伝えられています。
イザベラ・オブ・フランス(1295~1358年)
フランス王フィリップ4世とナバラ女王フアナ1世の娘で、1308年にエドワード2世と結婚しました。強い意志と野心を持つ女性であり、夫の無力な統治とディスペンサー父子の専横に不満を募らせ、1326年にロジャー・モーティマーとともにイングランドへ侵攻。エドワード2世の廃位と死をもたらしました。エドワード3世の母として、幼い国王の摂政として実権を握ったことでも知られています。
ケアフィリー城は、こうした貴族や王たちの興亡を見守りながら、今日もウェールズの大地に堂々と佇む、中世イングランド史の生きた証となっています。