アメリカ南北戦争(1861年~1865年)において、南軍(アメリカ連合国軍)の兵士たちは、所属する軍が降伏した後、ほとんどの場合自力で故郷へ帰らなければなりませんでした。政府からの輸送支援はほとんどなく、それぞれの兵士が自分の方法で長い帰路についたのです。
主な帰還手段
1. 徒歩での帰郷――最も一般的な方法
最も多かったのは、文字通り「歩いて」家に帰るという方法でした。多くの兵士は数百マイル(数百キロメートル)もの距離を歩かねばならず、食料も宿もない状態で旅を続けるしかありませんでした。この旅は非常に危険で、飢えや病気、過酷な気候への曝露によって、途中で命を落とした兵士も少なくありませんでした。
2. 馬などの動物に乗って
馬やラバなどを手に入れることができた兵士は、それに乗って帰ることで、旅をより早く、楽なものにできました。しかし当時の南部では動物そのものが深刻なほど不足しており、乗る機会があったとしても、結局は徒歩で帰らざるを得なかった兵士も多くいました。
3. 列車や蒸気船の利用
ごく一部の兵士は、鉄道や蒸気船を利用して帰還しました。これは最速かつ最も快適な移動手段でしたが、同時に最も費用がかかる方法でもありました。さらに、戦争によって南部の鉄道網は大きく破壊されていたため、利用できるケースは限られていました。
4. 最期まで帰れなかった兵士たち
戦争中に戦死または捕虜となり、二度と故郷に戻れなかった兵士もいました。また、帰路の途中で病気や疲労、悪天候などによって亡くなった者も少なくありません。さらに、故郷には戻らず、西部や南部の他の地域に留まることを選んだ兵士もいました。
知っておきたい補足ポイント
- 南軍政府による輸送支援は皆無: 戦争終結後、南軍政府は兵士への輸送手段を一切提供しませんでした。帰りの手段は完全に各兵士自身の責任だったのです。
- 民間人による温かい支援: 旅の途中、多くの兵士は沿道の住民から助けを受けました。市民たちは兵士に食料を与え、一夜の宿を提供し、道案内までしてくれました。
- 荒廃した南部の現実: 戦争は南部に壊滅的な打撃を与えており、ようやく帰り着いた兵士の中には、自分の家が焼失していたり、家族が極貧生活に陥っていたりする者も多くいました。
- それでも大半は帰還を果たした: 数々の困難にもかかわらず、南軍兵士の大多数は最終的に無事、帰郷を果たすことができました。
「南軍」としての一括降伏は存在しなかった
意外に思われるかもしれませんが、南軍(アメリカ連合国)は組織全体として一括で降伏したことはありません。実際には、個々の軍集団がそれぞれ別々に降伏していきました。最初の降伏は1865年4月9日、アポマトックス・コートハウスの戦いにおける北バージニア軍のもので、最後は同年6月23日、ミシシッピ川以西軍(トランス・ミシシッピ軍)の降伏によって幕を閉じました。このため、兵士たちの帰郷の時期も、地域や所属部隊によって大きく異なることになったのです。