暗殺の舞台はポンペイウス劇場
ジュリアス・シーザー(ガイウス・ユリウス・カエサル)が暗殺されたのは、紀元前44年3月15日、いわゆる「イドゥス・マルティエ(三月十五日)」のことでした。その舞台となったのは、ローマ市内に建てられたポンペイウス劇場(Theatre of Pompey)です。
当時、シーザーが出席する予定だった元老院会合は、通常使用される元老院議事堂ではなく、ポンペイウス劇場に併設された「ポンペイウスのクリア(議事堂)」で開かれることになっていました。これは、本元老院議事堂が改修工事中だったための一時的な措置でした。
なぜ劇場で元老院が開かれたのか?
古代ローマでは、元老院の会合は必ずしも専用の議事堂で行われるとは限りませんでした。神域や公共施設など、一定の条件を満たす場所であれば会合が開かれることもありました。ポンペイウス劇場は、紀元前55年にポンペイウスによって完成されたローマ初の恒久的な劇場であり、付属する列柱廊や議事堂空間も備えていたため、こうした代替会場として利用されていました。
悲劇の瞬間
その日、シーザーは元老院会合に出席するため劇場へ向かいました。そこにはブルータスやカッシウスらを中心とする約60人の元老院議員――共謀者たち――が待ち構えていました。会合の最中、彼らは一斉にシーザーに襲いかかり、短剣による刺傷23箇所という致命傷を負わせたのです。
伝えられるところによれば、シーザーは倒れた際、ポンペイウス像の足元に横たわったといわれています。ライバルだったポンペイウスの像の下で生涯を終えるというのは、歴史の皮肉としてよく語られる逸話です。
その後の影響
この暗殺事件は、共和政ローマを救うことを目的としたものでしたが、結果的には逆効果となりました。シーザーの死をきっかけに内乱が再燃し、最終的に彼の養子オクタウィアヌス(後のアウグストゥス)が権力を握り、ローマは帝政へと移行していくのです。