現在、中国を代表する観光名所の一つとして知られる紫禁城(故宮)は、古代中国文明が生んだ最も魅力的な建築作品の一つとされています。その建設は明王朝第三代の皇帝・永楽帝の時代に計画されました。紫禁城は中国帝国の政治的・軍事的な意思決定の中心であるだけでなく、皇室と臣民を隔てる格差の象徴でもありました。
14年を要した壮大な建設
紫禁城の建設には14年の歳月が費やされました。この長い工期は、皇帝一族、大勢の使用人、后妃、皇位継承者、そして宦官たちが暮らす72万平方メートルという広大な敷地の規模を物語っています。
「紫禁城」という名称は、城への出入りを厳しく管理する厳重な警備体制に由来しています。城内で働く大多数の人々は、一度も外へ足を踏み出すことなく、この豪華絢爛な建築群の中で一生を過ごすこともあったといわれます。
厳重な警備体制
南門は紫禁城への主要な入り口の一つでしたが、自由に出入りできたのはごく一部の高官、軍の要人、そして皇帝自身のみでした。
巨大な宮殿には警備が一切怠りなく施されていました。全長3.4キロメートル、高さ10メートルに及ぶ城壁が都市全体を取り囲み、さらに深さ6メートルの堀が外部からの侵入を防いでいたのです。
皇帝一家の憩いの場「御花園」
しかし、城内のすべてが警備や威容に関わるものだったわけではありません。美しい御花園(宮廷庭園)は広大な面積を占め、皇族たちはそこで瞑想にふけったり、囲碁を楽しんだり、良質な茶を味わいながら静かなひとときを過ごしました。
庭園の中央部には宗教的な殿堂が建てられ、水の神・玄武(玄天上帝)が祀られていました。
度重なる火災との闘い
玄武への特別な信仰は、紫禁城が抱えていた深刻な問題――火災――への対処から生まれたものです。建物の大部分が木造であったため火災の危険は常に存在し、事故や自然現象による出火に加えて、自分たちの雇用機会を確保するために放火を行う職人までいたといわれています。
風水に基づいた装飾の数々
紫禁城の装飾はすべて、古代中国の風水思想に基づいています。風水とは、建物や物体の配置によって良い気(エネルギー)を呼び込むとされる考え方で、当時の建築装飾には強い迷信が色濃く反映されていました。
城内の屋根の多くは黄色く塗られていました。黄色は皇帝の権力と繁栄を象徴する色だったのです。また、屋根の上に置かれる動物の像の数によって、建物それぞれの重要度が区別されていました。
24人の皇帝と「最後の皇帝」溥儀
5世紀にわたり、紫禁城は一人の君主が支配する体制の絶対的な権威と、その政治的変動の象徴であり続けました。1911年までの間、実に24人の皇帝がこの壮麗な建築物の中から広大な中国の領土を統治してきました。
その後、共和制を掲げる辛亥革命により、宣統帝・溥儀が「最後の皇帝」としてその座を退くことになりました。
故宮博物院としての新生
1925年、紫禁城は故宮博物院として生まれ変わり、その長い歴史の中で初めて一般に公開されました。以来、世界中から訪れる人々を魅了し続ける、中華文明の至宝となっているのです。