アジアの歴史

【無礼講のはじまり】鎌倉時代に後醍醐天皇が独断で開催した秘密の宴とは?

「今日は無礼講で!」

忘年会や新年会など、飲み会の場でほぼ必ず耳にするフレーズです。

そして上司と部下の垣根を越えた宴会が始まる……。

実はこの「無礼講」という行為がはじめて行われたのは、鎌倉幕府の時代でした。その意味は現代とまったく変わっていません。

さらに驚くことに、それを最初に行ったのは歴史上でも屈指の有名な天皇だったのです。

第96代・後醍醐(ごだいご)天皇。

天皇の中でも一二を争うほど知名度の高い方ではないでしょうか。

討幕の計画が発覚して一度は流罪に処されながらも、その後鎌倉幕府を滅ぼした天皇として知られる人物です。

そして当時の秘密の会合「無礼講」こそが、その討幕に一役買っていたのです。

今回は「後醍醐天皇」「討幕」「無礼講」の関係についてご紹介します。


まずは「無礼講」について解説!

「無礼講」とは、肩書きや上下関係を抜きにして楽しむ宴会の場という意味で、今も昔も変わらず使われています。

一方で「有礼講(うれいこう)」という言葉もあります。これは古代日本の神事において「神と人が同じものを食べる」ことをいい、神に捧げたお酒を身分の高い人から受け取る儀式(直会・なおらい)につながるものです。

座る場所、お酒を注ぐ順番、盃事の手順など、きちんとした作法があるのが特徴です。

そして、その堅苦しい儀式のあとに形式ばらずに行われる会こそが「無礼講」なのです。

とはいえ、決して「無礼をしてもOK!」という意味ではありません。

そもそも「気にしない」「遠慮しない」といった意味で使う漢字とは別物ですので、混同しないようにしましょう。


鎌倉幕府滅亡後の後醍醐天皇とは?

北条氏が全盛だった時代に生まれる

【無礼講のはじまり】鎌倉時代に後醍醐天皇が独断で開催した秘密の宴とは?

1288年、第91代・後宇多天皇の第二皇子として生まれます。

時代は鎌倉幕府7代将軍の頃。初代将軍・源頼朝(みなもとのよりとも)の妻・北条政子の代以降、北条氏が事実上の最高権力者となっていました。

藤原氏などの公家からは2人、皇族からは4人の将軍が誕生しましたが、彼らはほとんど飾りのような存在だったのです。


第96代天皇に即位……⁉︎

1318年、31歳という遅めの年齢で即位します。

これには理由があります。異母兄である第94代・後二条天皇のあとを受け、父・後宇多法皇が院政をしく形で皇位に就いたのです。

自らの子孫による皇位継承を幕府に認められず、父の院政にも口を出せない状況に、不満は次第に膨らんでいきました。


二度の「討幕計画」!!

【無礼講のはじまり】鎌倉時代に後醍醐天皇が独断で開催した秘密の宴とは?

34歳頃に父に代わって親政を開始すると、自分はあくまで中継ぎの天皇にすぎないという立場に猛反発し、討幕計画を企てます。

しかし側近たちが各地の武士や有力者に呼びかけるうちに、計画は発覚してしまいました(正中の変)。

側近たちが処罰されるなか、後醍醐天皇は幕府に対して弁明を行い、「自分は無関係だ」として咎めを免れています。

その後もひそかに討幕計画を進めていましたが、味方が少なく、次第に苦しい状況に陥ります。

そこへ側近の密告によって再び計画が露見。後醍醐天皇は三種の神器を持って女装の姿で京都御所を脱出し、挙兵に踏み切りました(元弘の変)。

しかし圧倒的な幕府軍の前に敗北して捕らえられ、隠岐諸島(島根県)へ流罪となってしまいます。

ところが後醍醐天皇は、隠岐から1年足らずで脱出を果たします。

折しも幕府側では、のちに室町幕府初代将軍となる足利尊氏(あしかがたかうじ)らが幕府から離反。新田義貞らの攻撃もあって鎌倉は陥落し、北条氏は滅亡しました。

京に還った後醍醐天皇は、天皇みずからが政治を行う「建武(けんむ)の新政」を開始します。しかし足利尊氏はこれに反発し、対立を深めていきます。

後醍醐天皇が吉野(現在の奈良県)に新たな朝廷を開いたことで、京都朝廷と吉野朝廷の二つの朝廷、二人の天皇が並び立つ「南北朝時代」が始まったのです。


鎌倉幕府打倒のために開かれた「無礼講」!!

【無礼講のはじまり】鎌倉時代に後醍醐天皇が独断で開催した秘密の宴とは?

後醍醐天皇はひそかに討幕計画を進めていましたが、一度目の計画は事前に発覚し、側近たちが処罰されるという「正中(しょうちゅう)の変」となりました。

この計画の際、無礼講の名目で討幕の密議が行われていたといいます。

烏帽子(えぼし)を脱ぎ捨て、少数の女性たちと歌い踊る宴を開いたのだとか。

これが「無礼講」の起源だと言われています。

突然、天皇と同じ席で酒を酌み交わすことになった参加者たちは、さぞかし戸惑いを隠せなかったことでしょう。現代でもハードルが高いことですが、「無礼講」という言葉すらない時代ならなおさらです。

果たして当時も、「今日は無礼講で!」と叫んでいたのでしょうか……。