19世紀から20世紀初頭にかけて、インドでは社会や宗教の古い因習を見直し、近代化を目指す数多くの改革運動が起こりました。この記事では、インド・ルネサンスの父と呼ばれるラームモーハン・ロイをはじめ、アーリヤ・サマージ、ラーマクリシュナ・ミッションなど、試験対策にも役立つ主要な改革運動とその指導者たちをわかりやすく解説します。

インド・ルネサンスの父:ラージャー・ラームモーハン・ロイ
ラージャー・ラームモーハン・ロイは、インド・ルネサンスの父と称される人物です。彼はコルカタ(カルカッタ)において、デヴィッド・ヘアとともにヒンドゥー大学(ヒンドゥー・カレッジ)を設立したほか、ヴェーダーンタ学院の創設にも関わりました。西洋の近代教育とインド伝統思想の融合を目指した彼の活動は、後の多くの改革者に大きな影響を与えています。
ブラフモ・サマージの創立と分裂
1828年、ラームモーハン・ロイによってブラフモ・サマージ(梵天協会)が創設されました。偶像崇拝の否定やサティー(未亡人殉死)の廃止を掲げたこの団体は、インド宗教改革運動の出発点となりました。
その後、組織内に対立が生じると、ケシャブ・チャンドラ・センは1866年にアディ・ブラフモ・サマージを設立し、運動は新たな段階へと進みました。
ヤング・ベンガル運動
ヤング・ベンガル運動の始祖であるヘンリー・ヴィヴィアン・デロージオは、ヒンドゥー・カレッジの教授でした。彼は若い学生たちに合理主義と自由思想を植え付け、インド社会の因習に挑戦する気風を育みました。
プラールタナー・サマージ
プラールタナー・サマージ(祈願協会)は、アートマーラーム・パンドゥラングによってムンバイで創設されました。一神教的思想に基づく祈祷と道徳的向上を重視するこの団体は、西インドにおける宗教改革の中心的存在となりました。
アーリヤ・サマージ:「ヴェーダに帰れ」
アーリヤ・サマージは、スワーミー・ダヤーナンダ・サラスワティによって1875年にムンバイで創設されました。ダヤーナンダ・サラスワティの本名はムールシャンカルといいます。彼は「ヴェーダに帰れ」という有名なスローガンを掲げ、古代聖典への回帰を通じた社会改革を訴えました。
ラーマクリシュナ・ミッション
ラーマクリシュナ・ミッションは、スワーミー・ヴィヴェーカーナンダによって1897年に創設されました。その名称は、師であるラーマクリシュナ・パラマハンサにちなんだものです。ヴィヴェーカーナンダの本名はナレンドラナート・ダットであり、1893年にはアメリカ・シカゴで開催された世界宗教会議に参加し、インド思想を世界に広めました。
神智学協会
神智学協会は、1875年にヘンリー・スティール・オルコット大佐とマダム・ブラヴァツキーによってニューヨークで創設されました。その後、協会の本部はチェンナイ(マドラス)近郊のアディヤールに移され、インドにおける仏教・ヒンドゥー思想の復興運動にも貢献しました。
ワハーブ運動とアリーガル運動
イスラム圏での改革運動としては、ワハーブ運動が挙げられます。この運動の指導者はサイイド・アフマド・バレルヴィーであり、パトナーがその主要な拠点でした。
また、ムスリム社会の近代教育振興を目指したアリーガル運動は、サー・サイイド・アフマド・ハーンによって開始されました。この運動は、後にアリーガル・ムスリム大学の設立へとつながる重要な教育改革運動となりました。
まとめ
これらの社会・宗教改革運動は、因習や差別への批判、女子教育の推進、近代教育の導入などを通じて、インド社会の覚醒を促しました。そして、こうした改革的気運の積み重ねが、後のインド独立運動の土台を築くことになったのです。