アジアの歴史

真珠湾攻撃前、日本の天然資源はなぜ「奪われた」のか?――アメリカの対日経済制裁の実態と背景

資源は「奪われた」のか、「凍結された」のか

真珠湾攻撃以前、日本の天然資源が文字どおり「奪われていた」というのは厳密には正確ではありません。実際に行われたのは、日本が保有する海外資産の凍結と、重要物資の対日輸出禁止(禁輸)でした。つまり、資源そのものが没収されたのではなく、日本がそれらを入手・利用する道が閉ざされたのです。

1931年の満洲事変とアメリカの禁輸措置

転機となったのは、1931年に日本軍が中国東北部(満洲)へ進駐した満洲事変です。これを受けてアメリカは日本に対して禁輸措置を段階的に強化していきました。

この禁輸は非常に包括的なもので、石油や鉄鋼といった戦争遂行に不可欠な戦略物資を含む、アメリカから日本への輸出全般が対象となりました。当時の日本は石油の大部分をアメリカからの輸入に依存していたため、この措置は日本経済と軍事力にとって致命的な打撃となり得るものでした。

制裁の目的は何だったのか

アメリカがこのような経済制裁に踏み切った目的は、主に次の二点にありました。

  • アジアにおける日本の軍事的拡張に対する懲罰
  • 中国および周辺地域へのさらなる侵略の抑止

つまり、中国への介入というよりは、日本の拡張主義的な動き全体を経済的な圧力によって食い止めようとしたものと言えます。ただし、中国を支援したいという思惑が背景にあったことも事実で、両者は表裏一体の関係にありました。

制裁の結果――部分的な成功にとどまる

しかしながら、これらの経済制裁は期待された効果を十分に発揮できませんでした。制裁によって日本の行動を抑えるどころか、むしろ資源の枯渇を恐れた日本は、中国への侵略と東南アジアへの進出を加速させることになります。

こうして経済的追い詰められた日本は、最終的に資源確保のための南進を選択し、1941年12月の真珠湾攻撃へと突き進んでいくのです。経済制裁は部分的な成功にとどまり、結果として太平洋戦争という更大的な悲劇を招く一因となったと評価されています。