北米の歴史

1877年鉄道大ストライキ・1892年ホームステッド・1894年プルマン――米国三大労働争議の原因を解説

はじめに

19世紀後半のアメリカは、急速な工業化とともに労使対立が深刻化した時代でした。中でも1877年の鉄道大ストライキ、1892年のホームステッド・ストライキ、1894年のプルマン・ストライキは、アメリカ労働運動史における転換点となった三大争議です。本記事では、それぞれのストライキが起こった原因と経緯、そして結果をわかりやすく解説します。

1877年の鉄道大ストライキ(Great Railroad Strike)

1877年の鉄道大ストライキは、アメリカ史上初の全国規模の労働争議であり、その背景には以下の要因がありました。

  • 賃金カット:1873年の恐慌(パニック・オブ・1873)の余波を受け、多くの鉄道会社が労働者の賃金を削減しました。不当な扱いを受けていると感じた鉄道労働者の間に、不満が広範に蔓延していました。
  • 劣悪な労働条件:鉄道労働者は危険を伴う環境で長時間の労働を強いられ、さらに監督者による恣意的な懲戒処分にもさらされていました。
  • 政府の介入:連邦政府はストライキ鎮圧のため軍隊を派遣し、鉄道施設や財産の保護に当たりました。政府が鉄道会社の側に立ったと感じたストライキ参加者の怒りは、さらに強まることとなりました。

1892年のホームステッド・ストライキ(Homestead Strike)

ペンシルベニア州のホームステッド製鋼所を舞台としたこの争議は、以下の要因によって引き起こされました。

  • 組合排除の動き:ホームステッド製鋼所はピッツバーグ地域最大級の雇用主でした。1892年、経営側は鉄鋼・鉄工労働者組合(Amalgamated Association of Iron and Steel Workers)の解体を図り、これが数か月に及ぶ激しい争議へと発展しました。
  • 武力衝突:ストライキは暴力事件によって汚点がつきました。特に有名なのは、ストライキ参加者と会社側の警備員(ピンカートン探偵社)との間で起きた銃撃戦です。最終的にはペンシルベニア州民兵が出動し、暴力の鎮圧が行われました。
  • 結果:ストライキは組合側の敗北に終わり、会社は組合を解体し、組合の干渉なしに操業を継続することに成功しました。

1894年のプルマン・ストライキ(Pullman Strike)

鉄道車両の大手メーカーであるプルマン社をめぐるこの争議は、全米規模の鉄道ストライキへと拡大しました。

  • 賃金カット:1894年、プルマン社は不況を理由に労働者の賃金を削減しました。これに対してプルマンの労働者がストライキに立ち上がると、抗議の波は瞬く間に全国の鉄道網へと飛び火しました。
  • 政府の介入:連邦政府は再び軍隊を派遣し、ストライキの鎮圧と鉄道財産の保護に乗り出しました。その結果、ストライキ参加者と連邦軍との間で激しい暴力衝突が発生しました。
  • 結果:このストライキもまた組合側の敗北に終わり、会社は組合を抑え込み、従来どおりの操業を続けました。

まとめ

三つのストライキに共通するのは、賃金カットや劣悪な労働環境といった労働者の切実な不満、そしてそれに対する経営側と政府の強硬な対応です。いずれの争議も組合の敗北に終わりましたが、労働者の権利や労働法制を見直す契機となり、後のアメリカ労働運動に大きな影響を与えました。