イギリスとその北米植民地との間に生まれた関係は、歴史学上「有益の怠慢」(salutary neglect)と呼ばれる特殊なものでした。これは、イギリス政府が植民地の内政にほとんど干渉せず、自治を大幅に任せていた政策を指します。
放任には条件があった
ただし、この「手を出さない」姿勢は無条件のものではありませんでした。植民地が王冠(王室)への忠誠を保ち、イギリス経済に貢献し続ける限りにおいて、本国は植民地の運営に介入しなかったのです。つまり、政治的な従属と経済的な利益の提供と引き換えに、日常の統治は植民地側に委ねられていました。
放任政策がもたらしたもの
この方針により、植民地の人々は独自の法制度、行政機関、そして文化を自らの手で育てることができました。各植民地では住民選挙による議会が発達し、税金や法律について自分たちで決定する経験を積み重ねていきました。
その結果、植民地住民の間には「自分たちのことは自分たちで決める」という意識が深く根づき、思い思いの形で社会を発展させていく自由を実際に感じられるようになったのです。
その後の歴史への影響
しかしこの安定した関係は永続しませんでした。18世紀半ばのフレンチ・インディアン戦争(七年戦争)後、莫大な戦費を抱えたイギリスは植民地への課税強化に乗り出し、長年続いた放任政策に事実上の終止符を打ちます。
長年の自治に慣れ親しんできた植民地人はこれに強く反発し、「代表なくして課税なし」というスローガンに象徴される対立が深まっていきました。こうした緊張の積み重ねが、最終的にアメリカ独立革命へとつながっていくことになります。