北米の歴史

イシャム・ハリスは南北戦争中に何をしたのか?テネシー州知事としての役割とその後の生涯

イシャム・ハリスは南北戦争中に何をしたのか?

イシャム・グリーン・ハリス(Isham G. Harris)は、1857年から1862年までテネシー州知事を務めた政治家です。南北戦争期には南部連合(アメリカ連合国)の強力な支持者として、テネシー州の合衆国からの脱退と戦争遂行において中心的な役割を果たしました。

ここでは、南北戦争中および前後におけるハリスの主な行動と出来事を紹介します。

脱退(セセッション)への支持

ハリスはテネシー州の合衆国からの脱退を強く主張した人物です。1861年、彼は州議会の特別会議を招集し、脱退の是非を問う住民投票の実施を働きかけました。当初は即時脱退に慎重な姿勢を見せていましたが、サムター要塞の攻撃やリンカーン大統領による出兵要請を受けて態度を一変させ、脱退派の先頭に立ちました。こうしてテネシー州は、南部連合に加わる最後の方の南部州となったのです。

テネシー軍の組織化

ハリスは、州内における南部連合軍の編成と動員において極めて重要な役割を担いました。彼は自ら「テネシー暫定軍」を創設し、ギデオン・ピロー(Gideon Pillow)少将をその指揮官に任命しました。さらに、南部連合大統領ジェファーソン・デイヴィスと緊密に連携しながら、州の兵力を南部連合軍へ組み込む手続きを進めていきました。

ナッシュビル陥落

1862年初頭、ユリシーズ・S・グラント(Ulysses S. Grant)将軍率いる北軍がテネシー州へ攻め込み、フォート・ヘンリーとフォート・ドネルソンの両要塞を攻略しました。これにより州都ナッシュビルが直接の脅威にさらされると、ハリスは南軍とともに同市から撤退しました。その後も彼は南軍に同行し、志願副官としてジョセフ・E・ジョンストン将軍やブラクストン・ブラッグ将軍の参謀として従軍したと伝えられています。

亡命生活と帰還

ナッシュビル陥落後、ハリスは州外へ逃れ、戦争末期にはメキシコへ、さらにイギリスへと亡命生活を送りました。戦争終結後の1867年、ようやくテネシー州への帰還を果たしています。

戦後の経歴

再建期のテネシー州では、元南部連合支持者が公職から排除されていたため、ハリスが知事に返り咲くことはありませんでした。しかし彼は政界からの完全な引退を選ばず、1877年にテネシー州選出の合衆国上院議員となり、1897年に死去するまで約20年間にわたってその職を務め上げました。

まとめ

南北戦争中のイシャム・ハリスの行動は、南部連合への強い忠誠心と、故郷テネシー州を守ろうとする献身を如実に反映しています。州は最終的に合衆国へ復帰しましたが、彼の尽力は、戦争初期における北軍に対するテネシーの激しい抵抗の一因となりました。そして戦後は、失脚を経ながらも上院議員として政治生命を全うした、南北戦争史における興味深い人物の一人といえるでしょう。