北米の歴史

バンカーヒルの戦いで愛国者たちは本当に「イギリス兵の白目が見えるまで発砲を待った」のか?その結果はどうなったのか?

「敵の白目が見えるまで撃つな(Don't fire until you see the whites of their eyes)」という言葉は、1775年6月17日のバンカーヒルの戦いにおける有名な逸話として広く知られています。しかし、この通説は歴史的に正確とは言えません。

「白目が見えるまで撃つな」は史実ではない

バンカーヒル(ブリーズヒル)に陣取ったアメリカ植民地側の愛国者たちが、イギリス兵の「白目」が見えるほど至近距離に来るまで発砲を控えたというのは、後世に広まった伝説的な表現です。そもそも、この命令を下したとされる人物(ウィリアム・プレスコット大佐やイスラエル・パトナム将軍など諸説あります)が実際にその言葉を発したという確かな一次資料は存在していません。

実際にはどのような戦い方をしたのか?

歴史家の研究によれば、民兵たちは弾薬が極めて限られていたため、無駄打ちを避けることが何よりも優先されました。彼らは敵が目の前まで迫るのをじっと待つのではなく、中距離(数十メートル程度)から一斉射撃を行い、効率的にイギリス軍を消耗させました。つまり「白目が見えるギリギリまで待った」のではなく、「確実に命中させられる適切な距離で撃った」のが実態です。

その結果、戦いはどうなったのか?

結果として、弾薬を使い果たした植民地軍は撤退を余儀なくされ、バンカーヒルはイギリス軍の手に落ちました。しかし、イギリス軍は勝利と引き換えに死傷者1,000人以上という甚大な損害を被りました。この戦いは、訓練された正規軍に対しても民兵が十分に立ち向かえることを証明し、アメリカ独立戦争における植民地側の士気を大きく高めることとなりました。

まとめると、「白目が見えるまで待った結果どうなったのか」という問いへの答えは、そもそもそのような待ち方はしていない、という点にあります。それでも彼らの規律ある射撃は、イギリス軍に衝撃的な損害を与え、独立戦争の行方を左右する重要な転換点となったのです。