オセアニアの歴史

鎖国時代の日本は本当にオランダとしか貿易していなかったのか?——よくある誤解の真相

「江戸時代の鎖国期、日本はオランダとしか貿易をしていなかった」——これはよく見られる誤解です。実際には、鎖国と呼ばれる孤立主義の時代においても、日本は複数の国や地域と交易を続けていました。

ヨーロッパではオランダのみ、しかし交易相手はそれだけではない

確かに、ヨーロッパ諸国の中で日本との貿易を許されたのはオランダだけです。キリスト教布教への警戒からポルトガルやスペインが排除される一方、布教活動を行わないオランダは長崎の出島を通じて交易を継続しました。しかし、だからといって「オランダだけ」というわけではありません。

中国・朝鮮との交易関係

日本は中国とは長崎経由で、朝鮮とは対馬藩を通じて、それぞれ交易関係を維持していました。中国商船はたびたび長崎に入港し、漢籍や生糸、絹織物などを日本にもたらしました。また、対馬藩を介した朝鮮との通交は、朝鮮通信使の来日に代表されるような文化交流の場ともなりました。

琉球との限定的な取引

さらに、薩摩藩の支配下に置かれた琉球(現在の沖縄)を通じても、限定的ながら交易が行われていました。琉球は中国との冊封関係を保ちながら、その中継地点として日本側へもさまざまな物産を届けていたのです。

まとめ:鎖国は「完全な孤立」ではなかった

このように、鎖国と呼ばれる時代であっても、日本は世界から完全に切り離されていたわけではありません。オランダというヨーロッパ唯一の窓口に加えて、中国・朝鮮・琉球といった複数のルートを通じて、対外関係と物資の流通が保たれていたのです。