アメリカ独立前夜、ジョン・ディキンソン(John Dickinson)は、植民地がイギリスとの対立を武力ではなく和解によって解決すべきだと主張しました。彼がそのように考えた背景には、以下の三つの重要な理由があります。
1. イギリス経済への深い依存
植民地はイギリスと極めて強い経済的つながりを持っていました。植民地は原材料をイギリスへ輸出し、その見返りとして工業製品を輸入するという貿易構造の上に成り立っていました。この関係が断絶すれば、植民地経済全体に深刻な打撃が及ぶことは避けられません。ディキンソンは、経済的な相互依存こそが和解への道を残す要因だと捉えていたのです。
2. イギリスの文化・制度との共通性
植民地の人々は、イギリスと共通の言語、文化、そして法制度を分かち合っていました。多くの入植者は自らがイギリス臣民であることを誇りに思い、その地位に伴う保護や特権を享受してきました。そのため、「母国」との完全な決別には強い抵抗感があり、あくまでイギリスの一員としての権利を守ることが望ましいと考えられていたのです。
3. イギリスによる報復への恐れ
当時のイギリスは世界有数の軍事大国であり、植民地側はその圧倒的な力を十分に認識していました。独立を宣言すれば、イギリスから武力による報復を受けることは目に見えていました。しかし植民地には、そうした攻撃に耐えうる軍事的準備が整っておらず、戦争がもたらす破壊と流血の惨禍を懸念する声が広く根付いていました。
このようにディキンソンは、経済・文化・軍事のすべての面でイギリスとの結びつきがあまりにも深いため、対立は話し合いによる解決を目指すべきだと確信していました。実際、彼は「ペンシルベニア農民の手紙」の中で、イギリス議会の不当な課税には反対しながらも、完全な独立ではなく英国臣民としての権利の擁護を求めるという穏健な立場を示し、独立派と妥協派の間で大きな影響力を持つことになりました。