オセアニアの歴史

第一回大陸会議に代表を派遣しなかった唯一の植民地は?その理由を解説

1774年に開催された第一回大陸会議に対し、イギリス領13植民地のうち代表を派遣しなかったのはジョージア植民地ただ一つでした。では、なぜジョージアだけが参加を見送ったのでしょうか。

ジョージアが代表を派遣しなかった理由

最大の理由は、ジョージアが「王室直轄植民地(ロイヤル・コロニー)」であったことにあります。当時、同植民地の王立総督を務めていたのはジェームズ・ライト(James Wright)であり、彼は大陸会議の開催という構想そのものに強く反対していました。

ライト総督は、大陸会議がイギリス本国との対立をさらに深め、最終的には反乱へと発展する危険性があると懸念していました。そのため、ジョージアがそうした活動に巻き込まれることを望まず、代表の派遣を認めなかったのです。

背景にあった王室への依存

ジョージアは13植民地の中で最も新しく設立された植民地であり、イギリス政府からの財政支援や軍事的保護に大きく依存していました。先住民族との紛争への対応などにおいても本国の援助が不可欠だったため、イギリスと対立する動きには極めて慎重にならざるを得ませんでした。

その後の展開

しかし、時勢が進むにつれてジョージア内でも独立への機運が高まっていきます。結果として、ジョージアは翌1775年の第二回大陸会議には代表を派遣することとなり、最終的には他の12植民地とともに独立への道を歩むことになりました。