西半球におけるアメリカ介入主義の強化
モンロー主義に対する「ルーズベルト・コララリー」(ルーズベルトの追補、1904年)がもたらした最大の影響は、西半球におけるアメリカ合衆国の介入主義の拡大です。
それまでヨーロッパ列強による新たな植民地獲得や干渉を拒否する、いわば防衛的な原則であったモンロー主義は、この追補によって大きく性格を変えました。セオドア・ルーズベルト大統領は、ラテンアメリカ諸国が政治的混乱や財政破綻に陥った場合、合衆国が「国際警察力」としてその内政に介入する権利を有すると主張したのです。
これにより、アメリカはラテンアメリカ諸国への内政干渉を正当化する明確な根拠を獲得しました。実際、パナマ革命への支援、プエルトリコにおける保護領体制の確立、ドミニカ共和国への関税徴収管理権の設定など、カリブ海地域を中心とした一連の介入が展開されました。その後もニカラグアやハイチへの軍事占領へとつながり、「ビッグ・スティック外交(棍棒外交)」と呼ばれる強硬な地域政策の理論的支柱となりました。
なお、米西戦争(1898年)は追補の発表以前の出来事ですが、キューバやプエルトリコなどへの関与を深める契機となり、こうした介入路線の先駆けとして位置づけられます。