結論:パブロ・エスコバルは米国に入国していない
コロンビアを代表する麻薬王として知られたメデジン・カルテルの首領、パブロ・エスコバルは、生涯を通じて一度もアメリカ合衆国に入国していません。世界最大の麻薬市場である米国へは大量のコカインを送り出しながらも、本人は決して足を踏み入れなかったのです。
米国入国を避けた最大の理由――身柄引き渡しへの恐怖
エスコバルが米国への渡航を避けた最大の要因は、身柄引き渡し(引渡し)への強烈な恐怖でした。当時のコロンビア政府は米国との間で犯罪人引渡し条約を結んでおり、麻薬取引の罪で起訴されれば、米国で裁判にかけられ、長期の刑務所生活を余儀なくされる可能性がありました。
エスコバルは「コロンビアの墓地に眠るほうが、アメリカの刑務所に収監されるよりもましだ」という趣旨の言葉を残したことでも知られています。この一節は、彼が身柄引き渡しをどれほど恐れていたかを如実に物語るものです。
コロンビア国外への渡航にも極めて慎重
エスコバルは米国に限らず、コロンビア国外への移動全般において非常に慎重でした。自身の身の安全と逮捕リスクを常に警戒し、活動の拠点は主にコロンビア国内、とりわけ生まれ故郷であるメデジンとその周辺地域に置いていました。
最期――1993年、メデジンでの銃撃戦
1993年12月2日、エスコバルはメデジンのロス・オリボス地区で、コロンビア国家警察の精鋭部隊「捜索隊(ブロケ・デ・ブスケダ)」による逮捕作戦の最中に射殺されました。潜伏先の屋上から逃走を図ったところを発見されたと伝えられています。
こうして、米国の土を踏むことなく、エスコバルは44年の生涯を閉じました。彼の死は、コロンビア史上最も激しかった麻薬戦争の時代に一つの終止符を打つ出来事となりました。