はじめに
『さらばマナザナール(Farewell to Manzanar)』は、ジャンヌ・ワカツキ・ヒューストンによる自伝的小説で、第二次世界大戦中に日系アメリカ人が強制収容されたカリフォルニア州のマンザナー収容所での体験を描いています。一見すると、この収容所には普通のアメリカの町とよく似た側面が数多くありました。しかし、その実態は有刺鉄線や監視塔に囲まれた「閉じ込められた場所」でした。本記事では、収容所がアメリカの町とどのように似ていたのかを詳しく見ていきます。
生活インフラが整っていた収容所
マンザナー収容所には、通常の町に必要とされる基本的な施設がそろっていました。
- 学校: 子どもたちが教育を受けられるよう、学校が設置されていました。
- 病院: 簡易的なものではありましたが、医療サービスを受けられる病院がありました。
- 食堂(カフェテリア): 収容者たちは共同の食堂で食事を取っていました。
- 図書館: 本を読める図書館も整備されていました。
充実したレクリエーション施設
また、収容所内には娯楽のためのさまざまな設備も存在しました。野球場、プール、映画館などがあり、収容者たちはこれらの施設を利用して日常の中にわずかな楽しみを見出していました。特に野球は日系人コミュニティで人気のスポーツであり、収容所内でも盛んに行われていました。
「ブロック」と呼ばれる街区ごとの暮らし
収容所のレイアウトも、一般の住宅地に似ていました。敷地は「ブロック」と呼ばれる区画に分けられ、それぞれのブロックには独自の住居群が配置されていました。この構造により、収容者同士が近隣住民として顔を知り合い、助け合うことができました。
こうした街区単位の暮らしは、収容所の中に一種のコミュニティ意識を育みました。人々は厳しい状況の中でも、祭りや学校行事などを通じて絆を深めていったのです。
似ていても「自由な町」ではなかった
学校や病院、娯楽施設など、マンザナー収容所は表面上こそアメリカの小さな町に似た姿を持っていました。しかし、そこに暮らす人々は自らの意志で移り住んだのではなく、政府によって強制的に移送され、自由を奪われた日系アメリカ人でした。
『さらばマナザナール』は、こうした「町のような外見」と「監獄のような本質」のギャップを浮き彫りにしながら、戦時下の日系人の苦難と尊厳を描き出しています。収容所の類似的な構造は、むしろ人々がいかに正常な生活を取り戻そうと努力していたかを物語るものだと言えるでしょう。