チャタヌーガの戦いとは
チャタヌーガの戦いは、1863年11月23日から25日にかけて、テネシー州チャタヌーガ近郊で行われた南北戦争の主要な戦闘です。ユリシーズ・S・グラント将軍の指揮下、ジョージ・H・トーマス少将率いる北軍カンバーランド軍やウィリアム・T・シャーマン少将の部隊が、ブラクストン・ブラッグ将軍率いる南軍テネシー軍を撃破しました。
この北軍の決定的な勝利により、南軍はテネシー州の支配権を失いました。チャタヌーガは鉄道の要衝であり、ここを確保した北軍は、深南部ジョージア州へ進撃するための重要な足がかりを手に入れたのです。
アトランタの戦い(アトランタ方面作戦)
アトランタの戦いは、1864年5月から9月にかけてジョージア州アトランタ周辺で展開された一連の戦闘です。シャーマン少将率いる北軍は、チャタヌーガを起点としてアトランタへ進軍し、当初ジョセフ・E・ジョンストン、後にジョン・ベル・フッド将軍が指揮する南軍と激しい攻防を繰り広げました。
1864年7月22日のアトランタの戦いでは、数で優勢な北軍が南軍の猛反撃を退けました。さらに8月末のジョーンズボロの戦いで南軍の補給線を断ったことで、南軍は9月2日にアトランタから撤退し、シャーマンは同市の占領に成功しました。
チャタヌーガの戦いがアトランタに与えた影響
チャタヌーガにおける北軍の勝利は、その後のアトランタでの出来事に決定的な影響を与えました。第一に、この勝利によって北軍はテネシー州を完全に掌握し、ジョージア州への進撃拠点を確保しました。仮にチャタヌーガで南軍が勝利していたなら、シャーマンのアトランタ進軍自体が実現しなかった可能性が高いといえます。
第二に、チャタヌーガでの戦功によりグラントは北軍総司令官に抜擢され、西部戦線の指揮はシャーマンに託されました。シャーマンはこの期待に応えてアトランタ方面作戦を遂行し、見事同市を攻略したのです。
アトランタ陥落は北部の世論と士気を大きく高め、同年11月のリンカーン大統領再選を後押ししました。さらにシャーマンはアトランタを拠点に「海への進軍」を開始し、南軍の戦争継続能力を根本から揺るがします。こうしてチャタヌーガの勝利は、1865年4月のアポマトックス・コートハウスにおける南軍降伏へと至る、南北戦争全体の重要な転換点となったのです。