ハーディングとクーリッジの外交政策:概要
ウォレン・G・ハーディング(第29代)とカルビン・クーリッジ(第30代)は、1920年代のアメリカ外交政策の形成において重要な役割を果たしました。両者の政策は、第一次世界大戦後の経済回復と安定を重視しながら、平和の維持と将来的な紛争の防止を目指すものでした。以下では、それぞれの外交政策の特徴を詳しく見ていきます。
ウォレン・G・ハーディングの外交政策(1921年〜1923年)
1. 「正常化」への回帰(ノーマシー)
ハーディングの外交政策は、第一次世界大戦による混乱からアメリカを「正常な状態」へ戻したいという思いに導かれたものでした。国際問題への関与を抑え、国内経済の回復に重点を置く姿勢を示しました。
2. 孤立主義と不干渉主義
ハーディングは孤立主義的な外交路線を推進し、ヨーロッパの政情や紛争への巻き込みを避けようとしました。国内問題を最優先とし、国際的な義務やコミットメントは最小限にとどめるべきだと考えていました。
3. ワシントン海軍軍縮会議(1921年〜1922年)
ハーディングは、海軍軍備の制限を協議し、列強間の建艦競争を未然に防ぐため、ワシントン海軍軍縮会議を招集しました。この会議の結果、米・英・日・仏・伊の5カ国が主力艦の保有トン数と隻数に上限を設ける五カ国条約が締結されました。
4. ドーズ案(1924年)
ドーズ案は、ドイツによる連合国への賠償支払い問題に対処し、ドイツ経済を安定させる目的で策定されました(正式な発動はハーディング死去後の1924年、クーリッジ政権下)。この計画によってドイツの経済状況は改善し、その後の国際協力への道が開かれました。
カルビン・クーリッジの外交政策(1923年〜1929年)
1. 孤立主義の継承
クーリッジはハーディングの孤立主義路線を受け継ぎ、国際紛争への直接的な関与を避けて国内政策に注力しました。国際機関への加盟や海外における大規模なコミットメントには終始慎重な姿勢を貫きました。
2. 不戦条約(ケロッグ=ブリアン条約、1928年)
クーリッジ政権下で交渉が進められた不戦条約は、戦争を国家政策の手段として違法とする画期的な試みでした。当時の世界の主要国のほとんどが署名しましたが、違反を強制的に阻止する仕組みがなかったため、実際に紛争を防ぐ効果は限定的でした。
3. ラテンアメリカ政策とモンロー主義
クーリッジは、西半球をアメリカの勢力圏と位置づけるモンロー主義を堅持しました。ニカラグアなどのラテンアメリカ諸国へ介入し、アメリカの利益保護と地域の安定維持を図りました。
4. タクナ・アリカ紛争の調停
クーリッジは、チリとペルーの間で長年争われてきた領土問題の調停に関わり、1929年のリマ条約締結を実現させました。この条約により、タクナ県とアリカ県をめぐる対立はようやく決着を見ました。
まとめ
ハーディングとクーリッジの外交政策は、経済的安定の重視、孤立主義、そして海外への深入りを避ける姿勢という点で一貫していました。両大統領のアプローチは、平和の促進と将来の戦争リスクの低減を図りながら、戦間期のアメリカが国内の優先課題に集中できる環境をつくることを目指したものだったのです。