まず結論からお伝えすると、サウスカロライナ州が州法無効化(ヌリフィケーション)条例を撤回したのは1832年ではなく1833年3月です。「1832年に無効化を廃止した」という記述は誤りであり、この危機(いわゆる「無効化危機」)は、連邦議会が1833年3月に可決した妥協関税法によって解決されました。
無効化危機とは何だったのか
1828年に成立した高率の保護関税法は、南部諸州から「悪魔的な関税(Tariff of Abominations)」と呼ばれ、激しい反発を招きました。輸入工業製品に依存し、綿花などの農産物輸出に経済を頼っていたサウスカロライナ州にとって、この関税は経済的な打撃であると同時に、州の権限を脅かす連邦権力の拡大と受け止められたのです。
1832年11月:無効化条例の採択
1832年11月、サウスカロライナ州は州大会を開き、1828年および1832年の関税法を州内では無効とする「無効化条例」を採択しました。さらに同州は、連邦政府が実力行使に出た場合には連邦からの脱退も辞さない姿勢を示し、国家規模の政治危機へと発展していきます。
ジャクソン大統領の強硬な対応
アンドリュー・ジャクソン大統領は無効化論に断固として反対し、連邦の権威を守るため、必要に応じて軍事力の使用を認める「武力行使法(フォース・ビル)」の成立を後押ししました。連邦と州の対立は一触即発の状態に陥ります。
妥協関税法による危機の解決
ここで政治的決着をつけたのが、ヘンリー・クレイの提案による妥協関税法です。この法律は関税率を段階的に引き下げていく内容で、1833年3月に議会を通過しました。これを受けてサウスカロライナ州は同年3月、無効化条例を正式に撤回します。
ただし興味深いことに、同州は撤回と同時に、武力行使法自体を無効と宣言するという象徴的な措置も取っています。これは州のプライドを保ちながら対立に幕を下ろすための、いわば「面目を保つ」ための動きでした。
まとめ
サウスカロライナ州が無効化を撤回した直接の理由は、1833年3月に成立した妥協関税法による関税引き下げです。正しい時系列は、「1828年の悪魔的関税への反発 → 1832年11月に無効化条例を採択 → 1833年3月の妥協関税法成立を受けて撤回」となります。この危機の平和的な解決は、その後の南北戦争まで続く連邦と州の権限をめぐる論争の出発点ともなりました。