1492年、クリストファー・コロンブスが大西洋を渡った目的は、実は「インドそのものに行くこと」ではなく、「インドへ向かうためのより速く安全な航路を開拓すること」にありました。当時のヨーロッパでは、香辛料や絹、宝石などの東洋の品々が絶大な人気を誇っていましたが、これらは陸路(シルクロード)を通じて運ばれるため、時間も費用もかかり、途中の戦乱や盗賊の危険も絶えませんでした。
なぜ「西回り」の航路だったのか
15世紀後半、オスマン帝国の勢力拡大によって既存の東方交易路はさらに困難になり、ヨーロッパ諸国は海による新航路の開拓に活路を見出そうとしていました。コロンブスは「地球は球体である」という考えに基づき、西へ進めばアジアに到達できると確信していました。しかし彼は地球の規模を実際よりかなり小さく見積もっていたため、大西洋を渡れば間もなくインドや東インド諸島に着くと考えていたのです。
たどり着いたのは「新大陸」だった
1492年8月、スペイン王室の支援を受けて出航したコロンブス一行は、数週間の航海の末に陸地を発見します。しかし、そこはインドではなく、コロンブス自身が知らなかったアメリカ大陸(カリブ海のバハマ諸島付近)でした。それでもコロンブスは生涯、自分が到達した土地を「インド(東インド諸島)」だと信じ続けました。この誤認が、先住民を「インディオ(インド人)」と呼ぶきっかけになったとも言われています。
誤算が生んだ歴史の転換点
皮肉なことに、この大きな「誤算」こそが世界史を大きく動かしました。コロンブスの航海をきっかけに、ヨーロッパとアメリカ大陸を結ぶ航路が開かれ、大航海時代は本格化。両大陸間で人・物・文化が行き交う「コロンブス交換」と呼ばれる大規模な交流が始まりました。コロンブスはインドには決してたどり着けませんでしたが、その航海は世界の姿を一変させる偉大な転換点となったのです。