1828年の関税法(通称「諸悪の関税/Tariff of Abominations」)は、アメリカ合衆国議会が制定した保護関税法であり、ヨーロッパからの輸入工業製品に高率の関税を課すものでした。この法律は、北部とは経済基盤が大きく異なる南部諸州に重い負担を強いることとなり、後の激しい地域対立、すなわちセクショナリズム(地方主義)を引き起こす主要な要因となりました。
背景:北部の工業と南部の農業の対立
19世紀初頭のアメリカ経済は、大きく二つの勢力に分かれていました。北部では繊維産業を中心に工業化が進み、安価なヨーロッパ製の工業製品から国内産業を守るために高関税を求める動きが強まっていました。一方、南部は綿花やタバコを中心とした農業経済であり、農産物をヨーロッパへ輸出すると同時に、工業製品の多くを輸入に頼っていました。
自由貿易を望む南部にとって、高関税は自らの利益に真っ向から反する政策でした。さらにこの関税法の成立には政治的な駆け引きも絡んでおり、意図的に極端に高い税率とされたとも言われています。
南部経済への二重の打撃
1828年の関税法は、南部経済に対して二重の悪影響を及ぼしました。
第一に、輸入品への高関税により、ヨーロッパ製の衣料品や道具、日用品などの価格が大幅に上昇し、南部の消費者の負担が一気に増大しました。
第二に、アメリカの高関税に対抗して、イギリスを中心とするヨーロッパ諸国が南部綿花の輸入を制限する動きを見せたため、南部最大の輸出品である綿花の売れ行きが滞りました。綿花こそ南部経済最大の富の源であり、その輸出の停滞は南部にとって致命的な打撃となったのです。
「諸悪の関税」とセクショナリズムの高まり
こうした状況の中で、南部の人々はこの法律を「諸悪の関税」と呼び、強い憤りを示しました。彼らの主張は「この関税で利益を受けるのは北部の工業界だけであり、負担だけを南部が押し付けられている」というものでした。
これに対抗する形で、副大統領ジョン・C・カルフーンは「サウスカロライナ州抗議および暴露文書」を匿名で執筆し、連邦政府の法律を各州が無効化できるとする「無効化理論(Nullification Doctrine)」を提唱しました。この思想は州権優越の主張の理論的支柱となり、南北の亀裂をさらに深めることになりました。
無効化危機への発展
1828年の関税法が引き金となったセクショナリズムは、やがて1832年の「無効化危機」として表面化します。サウスカロライナ州は連邦の関税法を州内では無効と宣言しました。ヘンリー・クレイの妥協案となる1833年の妥協関税法とジャクソン大統領の武力行使法によって武装衝突は回避されましたが、関税をめぐる対立はその後、奴隷制や南北の力関係をめぐるより根源的な争いへと発展し、最終的には南北戦争へとつながる一因となったのです。
まとめ
1828年の関税法が南部諸州に強いセクショナリズムを引き起こした理由は、北部の工業を保護する一方で、輸出依存型の南部経済に輸入価格の高騰と綿花輸出の停滞という二重の打撃を与える、極めて不公平な法律だと受け取られたことにあります。南部の不満は無効化理論や州権の主張という形で結実し、合衆国の国家統合を揺るがす重要な転換点となりました。