結論:スパルタは第一次ポエニ戦争に参加していない
まず結論から述べると、スパルタは第一次ポエニ戦争(紀元前264年~紀元前241年)に参加していません。この戦争は、地中海西部の覇権をめぐってカルタゴとローマ共和国という二大二大勢力が衝突した戦いであり、スパルタは交戦国の一角に名を連ねていません。
カルタゴ側にはヌミディア人などの同盟部族や属州都市が、ローマ側にはイタリア半島南部のギリシア系植民市や同盟市が支援として加わりましたが、これらはあくまで補助的な役割にとどまります。そして、ペロポネソス半島のスパルタは、この紛争のいかなる局面にも関与しなかったのです。
第一次ポエニ戦争とはどのような戦争だったのか
第一次ポエニ戦争は、主戦場となったシチリア島およびその周辺海域で繰り広げられた、当時としては異例の長期戦でした。両陣営の対立の発端は、シチリア島南西端の都市メッセナ(現メッシーナ)をめぐる紛争にローマが介入したことにあります。
それまで陸軍大国だったローマは、制海権を握るために艦隊を急造し、新兵器「コルウス(渡し橋)」を活用して海戦でもカルタゴに対抗できるようになりました。23年以上に及ぶ消耗戦の末、紀元前241年のアイガト諸島沖の海戦でローマが勝利し、カルタゴは賠償金の支払いとシチリア放棄を余儀なくされました。
なぜスパルタは関わらなかったのか
スパルタがこの戦争に関与しなかった背景には、当時の同国の国際的地位の低下があります。かつてペルシャ戦争やペロポネソス戦争でギリシア世界の覇者として君臨したスパルタでしたが、紀元前371年のレウクトラの戦いでテーバイに敗北して以降、その軍事的威光は大きく失墜していました。
紀元前3世紀後半のスパルタは、地中海の大国間抗争から距離を置き、ペロポネソス半島内政や近隣諸国との関係維持に専念する状態にありました。西方のシチリアやカルタゴとの覇権争いは、もはや自国の利害に直結する問題ではなかったのです。
まとめ
第一次ポエニ戦争はカルタゴとローマ共和国が主役となった戦争であり、スパルタは参戦していません。全盛期を過ぎたスパルタには、遠く離れた西方海域の覇権争いに介入する力も動機もなかったのです。この戦争の結果、ローマは初の海外領土であるシチリア州を獲得し、後に地中海全体を支配する第一歩を踏み出すことになります。