「ジョン・カボットが北米に到達した後、イギリスは約80年間アメリカの植民地化に手をつけなかった」という見方がありますが、これは正確ではありません。実際には、カボットの航海(1497年)以降もイギリスは何度も北米植民を試みており、失敗と中断を繰り返しながら、1607年のジェームズタウン建設へとつながっていきました。
前提の確認:ジョン・カボットの到達とは
イタリア出身の航海者ジョン・カボットは、イングランド王ヘンリー7世の支援を受けて1497年にブリストルから出航し、北米大陸(現在のカナダ東部、ニューファンドランド島周辺とされる)に到達しました。これによりイングランドは、スペインやポルトガルに大きく遅れることなく、新大陸への足がかりを手に入れたことになります。
実は存在した初期の植民の試み
ギルバートのニューファンドランド進出(1583年)
エリザベス1世の時代、ハンフリー・ギルバート卿は王室の勅許を得て北米植民計画を推進し、1583年にニューファンドランド島においてイングランド初の海外領有を宣言しました。しかし、帰還の途上で船団が遭難し、ギルバート自身も命を落としてしまいます。
ロアノーク植民地(1585年〜)と「失われた植民地」
その後を継いだウォルター・ローリー卿は、現在のアメリカ・ノースカロライナ州沖のロアノーク島に植民地を建設しました。しかし補給の途絶や先住民との関係悪化に苦しみ、特に1587年に渡った第2次入植者120人余りは、1590年に再訪した際には忽然と姿を消していました。これが有名な「失われた植民地」事件です。
成功までに時間がかかった理由
植民の「試み」自体は存在したものの、成功までに長い歳月を要した背景には、以下のような要因がありました。
- 資金と人材の不足: 植民事業には巨額の費用が必要で、当初は個人の冒険家や小規模な投資家に頼らざるを得ませんでした。
- 国内情勢の不安定さ: 王朝の交替、宗教改革をめぐる混乱、フランスやスペインとの外交・軍事的緊張など、国内問題が優先されがちでした。
- 海上強国スペインの壁: 強大なスペイン海軍に対抗できる国力が整うまで、大西洋での本格的進出は困難でした。1588年のアルマダ海戦で無敵艦隊が撃退されたことが大きな転機となります。
- 技術と知識の未熟さ: 長期航海に耐える造船技術、航法、現地での食料調達や入植地運営のノウハウがまだ蓄積されていませんでした。
ついに実った成果:ジェームズタウン建設
こうした試行錯誤を経て、1607年にロンドン会社(ヴァージニア会社)が現在のアメリカ・バージニア州にジェームズタウンを建設しました。これがイギリスによる北米最初の恒久的植民地となります。カボットの到達からおよそ110年、ギルバートの試みからは約25年後のことでした。
まとめ
「80年間植民地化しなかった」というのは誤解であり、正しくは「何度も植民を試みたものの、失敗と中断を重ね、ようやく1607年に恒久的な植民地を確立した」というのが実態です。初期の挫折で得られた教訓こそが、後の北米植民地帝国への道を支えたといえるでしょう。