1979年3月31日、ドイツのハノーファーで約10万人が原子力発電に反対する大規模なデモを行いました。その中には、ヴェントラント地方からトラクターで数日かけて駆けつけた農家の人々も含まれていました。
きっかけとなったのは、同年3月28日に発生した米国ペンシルベニア州ハリスバーグ(スリーマイル島)原発の炉心溶融事故です。しかし、遠く離れた米国での事故を待つまでもなく、ニーダーザクセン州では原発問題がすでに身近な存在となっていました。静かな田舎町ゴアレーベン(リューヒョウ=ダンネンベルク郡)に、核廃棄物最終処分場と再処理工場を建設する計画が進んでいたのです。州政府がこの決定を下したのは、その2年前のことでした。
最初は350台のトラクター、やがて10万人へ
ヴェントラントの人々の不安は大きく、計画への闘志もまた強いものでした。その一人が、当時25歳の農夫ハインリヒ・ポートマーです。1979年3月25日、「農民緊急共同体」の呼びかけに応え、多くの仲間とともにハノーファーへ向けて出発しました。出発地はゴアレーベン近郊のゲーデリッツ。集まったのは約350台のトラクターでした。
ハノーファーにはドイツ全土から人々が集まり、ニーダーザクセン州史上最大となる10万人規模のデモとなりました。ポートマーは、キリスト教民主同盟(CDU)のエルンスト・アルブレヒト州首相に向けてこう叫びました。「親愛なるアルブレヒトさん、私たちはあなたの『シート』なんていらない!」——低地ドイツ語で「くそ」を意味する言葉を使い、会場の声援を浴びました。
ゴアレーベンからハノーファーへ、徒歩8日間
それから25年後、ズザンネ・カーミンは当時の特別な雰囲気をこう振り返ります。「あのときすでに、私たちがやっていることは歴史に残ると確信していました」。後にリューヒョウ=ダンネンベルク市民イニシアティブ(BI)の会長を務めた彼女はそう語りました。
2017年に亡くなったマリアンネ・フリッツェンも、1979年3月、アルブレヒト州政府の計画に抗議するためデモに参加した一人でした。彼女は悪天候の北ドイツの空の下、8日間かけて徒歩でハノーファーまで歩いたといいます。道中で目にした光景は、彼女の心を強く打ちました。「家の壁面に横断幕が掛けられ、人々がバルコニーから拍手を送ってくれたんです。本当に圧倒されましたね」と、BI創設者の彼女は行進25周年の際に述懐しています。
再処理工場計画は白紙撤回へ
ハノーファーに集まったデモ参加者の数もまた、圧倒的なものでした。米国での原発事故の衝撃を受けて、全国から原発反対派や批判者がハノーファーに集結し、最終的に10万人に達しました。
アルブレヒト州首相自身も影響を受けたらしく、1週間後、ヴェントラントへの核再処理工場建設は「政治的に実現不可能」と宣言します。しかし、ゴアレーベンの役割が消えたわけではありません。その後、同地には2つの使用済み核燃料中間貯蔵施設と、いわゆる「パイロット処理施設」が設置されました。地下のゴアレーベン岩塩ドームは、最終処分場としての適性を長年にわたり調査されることになります。そしてヴェントラントでは、放射性廃棄物輸送容器CASTORがゴアレーベンに向かうたびに、原発反対派と国家権力との衝突が繰り返されました。
当時を伝える2つの特別展
1979年の行動とその後の展開を伝える2つの展示会が開催されています。ハノーファー歴史博物館では3月27日から、特別展「トラクターでハノーファーへ――ゴアレーベンと脱原発運動」が始まりました。写真や資料、証言者による報告、そして「記念品」などを通じて、当時の出来事と現在に至るまでの影響を紹介しています。
また、リューヒョウでは3月31日から、郡庁舎にて「ゴアレーベン行進――40年後」と題した展示が開催されます。両プロジェクトの共同主催は、ハノーファー歴史博物館、ハノーファー大学民主主義教育学研究所、リューヒョウのゴアレーベン資料館です。