何千年もの間、人々は自由を奪われた生活・労働環境の中で生きてきました。そして今日でもなお、奴隷制は世界のあらゆる地域に蔓延しています。その姿は児童労働や強制売春として現れることもあれば、広大なプランテーションや危険な鉱山での過酷な搾取として存在することもあります。
奴隷制のはじまり――初期の形態
奴隷とは、あらゆる権利を奪われ、意志に反して拘束され、誘拐や虐待を受け、経済的に搾取される人間のことです。つまり奴隷とは、他の人間の「所有物」とされた人間なのです。
奴隷制は、個人と個人の間、あるいは社会と社会の間における暴力の表現であり、その起源は人類文化の夜明けにまで遡る服従の営みです。
戦争の後、敗者を殺害する代わりに、彼らを捕らえ、連れ去り、搾取するようになった民族や集団がありました。ここに奴隷制の原型が生まれたのです。
負債、刑罰、差別、そして貪欲さ――これらこそが、人間を商品として所有し、隷属させる主な要因でした。
古代エジプトでは、奴隷が社会の重要な担い手となっていた
古代文明と奴隷制
奴隷制は古代文明に広く浸透していました。メソポタミア、エジプト、ギリシャ、ローマ――これらの古代文化の多くは、奴隷階級への組織的な権利剥奪と搾取なしには成り立ち得なかったといえます。
古代ギリシャでは、奴隷制がアテネ市民を労働から解放し、政治に関わり民主社会に参加するための余暇をもたらしました。ローマ帝国もまた典型的な奴隷所有制社会でした。
ローマ最盛期には、わずか2万人のローマ市民に対して40万人もの奴隷が存在し、あらゆる職域で無報酬の労働を強いられていました。
アフリカとアラブ諸国における奴隷制
8世紀から12世紀にかけて、イスラム・アラブ地域は奴隷を強く必要とする、活力に満ちた地域でした。
中世には、主に東欧から黒海を越えて、また中央欧州(マクデブルク、レーゲンスブルク、マインツ、プラハ、ヴェネツィア、ヴェルダン、ナルボンヌ、バルセロナなどを経由)から、大量の奴隷がこの地域へ送り込まれました。
英語の「スレイブ(slave)」という言葉は、もともとアラビア語の「サカーリバ(saqaliba)」に由来する可能性があり、民族名である「スラヴ(Slav)」も同じ語源から派生したとされています。
歴史家たちの推定によれば、7世紀から20世紀にかけてのアラブ地域の奴隷貿易は、1450年から1860年にかけての大西洋・アメリカ地域の奴隷貿易とほぼ同等の規模に達していたとされます。
一方、アフリカの他の地域では、アメリカ大陸が征服されるはるか以前から奴隷制が存在していました。アフリカでは伝統的に、「所有」とは土地の支配ではなく人そのものの支配を意味したため、人を交換したり売買したりすることが自然な行為とされてきた側面があります。
7世紀から20世紀にかけて、数百万の人々が奴隷として売られました。北方面ではサハラ砂漠を越えるルートが、東方面では紅海とインド洋を渡るルートが使われました。
そして植民地時代に入ると、アフリカ西海岸でも奴隷貿易が本格化し、数百万のアフリカ人がアメリカ大陸へと売り飛ばされていったのです。
黒人アフリカの村を襲撃するアラブ系の奴隷商人たち
大西洋横断奴隷貿易
奴隷制の歴史においておそらく最も悪名高いこの時代は、1492年のアメリカ大陸征服とともに幕を開けました。それまでヨーロッパ人が進出していたアフリカ西海岸は、やがて世界最大の奴隷貿易の中心地となります。
ヨーロッパの列強は数百万に及ぶ黒人アフリカ人を奴隷化し、ブラジル、カリブ海諸島、アメリカ合衆国南部のプランテーションへ売りさばきました。
この新大陸への奴隷移送は約400年間にわたって続きました。とりわけ17世紀には、アメリカ大陸のサトウキビ、綿花、タバコのプランテーションで安価な労働力への需要が爆発的に高まっていました。
啓蒙時代の到来とともにヨーロッパの世論は変化し、奴隷制への抗議の声が初めて大きく響き始めます。奴隷制廃止への流れは、最終的に複数の要因によって加速しました。1791年から1803年にかけてのサン=ドマング(現在のハイチ)における有名な奴隷反乱に代表される奴隷自身の手による解放闘争、奴隷貿易に反対したクエーカー教徒をはじめとする宗教的団体の活動、そして「廃止論者(abolitionist)」と呼ばれる人々による運動です。
デンマークは1722年に人身売買を違法化し、イギリスが1807年にこれに続きました。そして1865年、アメリカ南北戦争の終結とともに合衆国南部で奴隷制が廃止されたことは、先進工業国における制度的・合法的な奴隷制の終焉を意味しました。
最終的に19世紀の終わりには、アフリカ大陸においても奴隷貿易が正式に禁止されることとなりました。
ハバナ(キューバ)の奴隷市場
現代の奴隷制
今日、世界中のすべての国が公式に奴隷制を廃止しています。最後となったのは1980年のモーリタニアです。しかしその廃止は書類上のものにすぎず、奴隷制という現象は今なお根強く残っています。
現代の奴隷制の形態としては、政治犯への不当な収監、児童労働、強制売春、少年兵の動員、そして古来からの農奴制や経済的搾取などが挙げられます。
著名なアメリカの奴隷制研究者ケヴィン・ベイルズ(Kevin Bales)は、過去の旧来型の奴隷制と、今日あらゆる法の正統性から逃れて存在する現代の奴隷制とを、次のように明確に区別しています。
「かつて奴隷制とは、ある人が別の人間を法的に所有することを意味しました。しかし現代の奴隷制はそうではありません。今日、奴隷制は世界中で禁じられているため、法的に人を所有することは不可能です。
現代において誰かを奴隷のように扱うとき、人は領収書や権利証書を求めません。他人に対する支配力を握り、暴力によってそれを維持するのです。
奴隷の支配者たちは、法的な権原を持たないまま、所有のあらゆる利益を享受しています。むしろ非合法の支配者であることは彼らにとって有利です。完全な支配を行いながら、被支配者への責任を一切負わずに済むからです。だからこそ私は『所有者』ではなく『支配者』という言葉を用いるのです。」
ベイルズの分析によれば、現代の奴隷制における「合法性の欠如」は、結果として奴隷とされる人々をさらに不利な立場に置き、搾取する側には都合よく作用しているといいます。ベイルズは、今日少なくとも2,700万人が奴隷に近い状態で暮らしていると推計しています。一方、グローバル・スレイブリー・インデックス(Global Slavery Index)は4,000万人規模と見積もっており、報告されない被害を含めれば、実態はさらに深刻だと考えられています。
中国新疆ウイグル自治区における強制労働の実態