ヨーロッパの歴史

女性が歴史を通じて軽視されてきたのは「翻訳ミス」のせい? 創世記に隠された古代シュメールの謎

翻訳ミスと、それを何世紀にもわたって利用してきた人々へ

この「ミス」を探すには、聖書の一節、具体的には『創世記』を確認する必要がある。そこには、神がアダムの肋骨からイヴを造ったと記されている。

主なる神は深い眠りをアダムに降らせ、彼が眠ると、その肋骨の一つを取り……主なる神が人から取り出したその肋骨で一人の女を造り、その女を人のところへ連れて来られた。

女性が歴史を通じて軽視されてきたのは「翻訳ミス」のせい? 創世記に隠された古代シュメールの謎
イヴの創造(ミケランジェロ)

そして、この解説のために友人のジョシュア・ベドワイア(Joshua BedwyR)が助け舟を出してくれる。問題の発端は、数世紀前にユダヤのラビたちが行ったとされる「ひどい翻訳」にあるという。ただし、その前に前提として二つのポイントを押さえておきたい。

ポイント1:シュメールの「ME(メー)」とは何か

シュメール文化には、ME(メー)と呼ばれる概念が存在した。これは神々が創り出した一連の力や規範であり、世界の均衡を保つ役割を担っていたとされる。リストや編纂物が実際に発見されているため、多くのメーの存在が確認できている。その内容は、大工仕事の技術から命を創り出す力に至るまで、実に多彩だ。そして、この「命を創る力」こそが、本題の核心に近づく鍵となる。

ポイント2:楔形文字の「TI(ティ)」が持つ二つの意味

シュメール人は楔形文字で記録を残した。この表記体系では、単語によっては文中のどこに置かれるかによって意味が変わるものがあった。具体例を挙げると、シュメール語の「TI(ティ)」という言葉は、配置の仕方によって「肋骨」を意味することもあれば、「命を創り出す力」を意味することもあったのである。

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シュメールの粘土板

エンキ神と「TI」――事件の核心部へ

以上の二つの前提を踏まえると、ついに真相に迫ることになる。『シュメール創世神話』において、神エンキは「TI」を用いて、男と対等な女を創り出している。そして、その言葉が文中に置かれた位置から判断する限り、そこでの意味は「命を創り出す力」だったのだ。

ご存じの通り、ユダヤ人はネブカドネザル2世によって「招かれ」(事実上の強制移住)、いわゆるバビロン捕囚の時代を迎えた。彼らのカナン系の祖先たちはアブラハムの時代からシュメールの文化的所産に触れていたが、バビロンに移住後は、改めてシュメール文学へ直接アクセスできるようになった。当時はもちろん著作権という概念など存在しなかったため、彼らは遠慮なくシュメールの文献を「借用」し、自らの聖典の充実に活用していったというわけだ。

こうして、メソポタミア(ティグリス・ユーフラテス両河域)文学の一節や神話の多くが、『トーラー』の一部へと組み込まれていったとされる。モーセ五書全体、ヨブ記、雅歌、さらにはモーセの出生譚までもが、その影響下にあると言われている。特にモーセの誕生譚は、アッカドのサルゴン王の伝説と驚くほど類似しており、下敷きになった可能性が指摘されてきた。

そして、この大規模な「借用」の過程で、彼らはエンキ神の一節に行き当たり、あろうことか「TI」を「肋骨」と訳したのである。その結果、女性は「創世の時から男と対等な存在」から「従属的で劣った存在」へと位置づけられてしまうことになった。

それは悪意によるものだったのか?

ここで当然浮かぶ疑問がある。「彼らは悪意をもってそうしたのか?」現時点で断定することは難しい。しかしながら、歴史的事実として、ユダヤのラビたちは言葉の価値に極めて執着的だった(聖書ではすべての名前が厳密な数的価値に基づいて注意深く記され、配置されている)。ゆえに、彼らが常日頃から複数の言語に精通していたことは間違いない。また、文中での単語の配置によって意味が変わるというトリックを知っていたと疑うには、十分すぎる根拠がある。どう考えても、意図的な匂いは拭えないのである。

おわりに――歴史の真実と向き合うために

これで、なぜ何世紀もの間、人々はベストセラー第1位(聖書)を手にしながら、女性を等しく扱わなかったのか、その一つの答えが見えたはずだ。なお補足しておくと、この説はシュメラ学者サミュエル・ノア・クレーマーらが広めた有名な仮説である一方、『創世記』はヘブライ語で独自に著述されたとするのが主流の見解でもある。真偽のほどはともかく、一つの言葉の解釈が、数千年に及ぶ社会の在り方に影響を与え得たという事実は、言葉の持つ力の大きさを私たちに教えてくれる。

今日からは、誰かがあなたを平等に扱わなかったとき、その理由の奥に古い「翻訳」が潜んでいないか、思い出してみてほしい。歴史の真実を知ることが、偏見を正すための第一歩となるのだから。