古代メソポタミアにおける「意外」な奴隷像
古代メソポタミアの奴隷といえば、過酷な扱いを受けていたというイメージを持つ人が多いだろう。それは確かに事実だが、それは鞭を惜しまなかったアッシリア人やバビロニア人の場合の話である。一方、シュメール人の奴隷に対する姿勢は、現代人の想像をはるかに超えてユニークなものだった。
そもそもシュメールにおいては、奴隷の親から生まれるという明白なケースを除けば、奴隷になる道は2つしか存在しなかった。戦争による捕獲か、あるいは自発的な契約である。
借金返済のための「自発的奴隷」
自発的奴隷とは、債務を清算する手段として奴隷契約を結んだ人物のことだ。ここで注目すべきは、契約期間や違反時の罰則までが綿密に文書化された正式な契約によって成立していた点である。契約期間が満了すれば、本人は何ごともなかったかのように元の日常へ戻ることができた。しかも、本人が奴隷の身分にある間も、その家族は自由のままだったのである。
捕虜を嫌った「黒髪の民」の実利的な事情
シュメール人の自称である「黒髪の民」は、戦いの後に捕虜を取ることを好まなかった。しかし、それは憐憫の心ゆえではない。彼らは慈悲深い修道僧のような存在ではなく、隣人を串刺しにしたり皮を剥いだりすることも厭わない連中だった。理由はもっと単純で、徹底して実用的なものだったのだ。
捕虜を抱え込むということは、粗末な食事であれ餌を与え続けなければならず、さらには評判の悪い奴隷商人との交渉も必要になる。奴隷にしてしまえば今度は、見張り、食事の世話、看病……まさに頭痛の種なのである。
とはいえ、一旦奴隷として受け入れた以上、極端に冷遇されたわけでもない。神殿や宮殿の労働者への食糧配給量を記録した粘土板が数多く出土しており、それによれば奴隷の食事は貧しい一般労働者と同等だったようだ。飢えることはなく、ただメニューが単調だったというだけである。パン、タマネギ、大麦の粥、カブのスープ……といった具合だ。

自由を「買い戻す」権利と、寺院の低利融資
さらに興味深いのは、法制度が奴隷に自力で自由を取り戻す機会を与えていたことだ。方法はシンプルで、主人に自分の身代金――つまり主人が自身のために支払った金額――を返済すればよかったのである。
では、奴隷はどこでその銀貨を調達したのか?
答えは融資である。奴隷がローンを申し込むという発想には現代人は驚かされるが、当時の社会ではごく普通のことだった。資金を貸し出すのは、最高22%もの利息を取る民間の貸し金業者か、あるいは神殿だった。そして驚くべきことに、神殿が3.5%を超える利息を要求した粘土板は、今日まで1枚も発見されていないのである。
側室への自由授与とアブラハムの「忘却」
側室に自由を与えるのも一般的な慣習だった。出産を重ねるのに疲れ果てたシュメールの妻は、夫に側室を宛てがうことができた。奴隷の産んだ子は自由身分であり完全な相続権を持つため、「母親が奴隷である相続人」という状況が生じ得た。それを避けるために、側室に自由を与えるのが通例となっていたのだ。
ウルの出身でこの慣習を熟知していたはずのアブラハムは、エジプト人の奴隷ハガルを解放したくなかったとき、この慣習をきれいに「忘れ去った」に違いない。だからこそ、聖書の読者の中には、イシュマエルがなぜあんなに怒りっぱなしなのか不思議がる者がいるのだろう[皮肉モード解除]。
奴隷との結婚と、生まれた子どもの身分
奴隷と自由民の結婚もまた、決して珍しいことではなかった。自由な男性も女性も、奴隷と容易に結婚することができた。ただし、奴隷となった配偶者は労働区域の外に出ることが許されなかったため、夫婦生活には少なからず支障が出たことだろう。とはいえ、その婚姻から生まれた子どもは自由身分となった。
新シュメール期には、王ウル・ナンムが「子どもたちは自由とする。ただし第一子は所有者への補償として奴隷のままとする」と布告した。しかし出土した粘土板からは、銀や物品による支払いを認めて第一子の代替とすることが可能だった様子もうかがえる。
解放の儀式と「アプットゥ」の断髪
奴隷が自由を与えられる際には、公共の広場で触れ役が解放の宣言を読み上げ、その直後、理髪師が新しい市民のアプットゥを切り落とした。これは奴隷を自由民と区別する目印となる、一種のポニーテールだったのである。
一方、逃亡して捕らえられた奴隷への処置は過酷だった。慣例に従えば両目を潰された上で、井戸から水を汲む作業を課される。なぜそうなったのかは謎だが、当時は自由民・奴隷を問わず、盲目の者たちが水汲みを担っていたらしい。

従順な奴隷は虐待されなかった――シュメール流の実利主義
最後に付け加えたいのは、素直に仕える奴隷はそれほど酷い扱いを受けなかったということだ。法律は自発的奴隷への虐待を厳格に禁止していた。もっとも、その家族に言及するのは別問題だったようだが。強制的に奴隷にされた者についても、慣習上は公正な扱いが求められた。
こんなシュメールの諺が残されている。
「ロバを虐げないのなら、どうして奴隷を虐げるのか?」
虐待は労働力という資産の価値と生産性を損なうと考えられていたのだ。「黒髪の民」は、彼ら特有の実務感覚をもって、奴隷はたいていの時間は幸福に保たれるべきだと考えていたのである。さて、これであなたの銀行がなぜしきりに「タブレット」を勧めてくるのか、その理由がお分かりいただけただろう。
寄稿:Joshua BedwyR(著書『In a Dark Blue World』)