フランスとイングランドの間で戦われた有名な「百年戦争」は、実際には1337年から1453年までの116年間続きました。しかし、その名前にふさわしい戦争が本当に存在するとすれば、それは1904年から2006年まで、実に102年間も続いたモンテネグロと日本の戦争なのです。
バルカン半島の動乱と露土戦争
19世紀後半、南東ヨーロッパのバルカン半島において、オスマン帝国によるスラヴ系諸民族への抑圧は度重なる反乱を引き起こしていました。ロシア帝国が「スラヴの兄弟」を支援する名目で介入したことで、露土戦争(1877年〜1878年)が勃発します。
戦争終結後の1878年、イギリスの提唱によりドイツの主宰で開かれたベルリン会議において、バルカン半島の勢力図は再編成されました。モンテネグロは領土を拡大し、それまで不安定だった独立をようやく確保することになったのです。
日露開戦とモンテネグロの宣戦布告
1904年、拡張路線を進めるロシア帝国と日本帝国は、朝鮮半島と満洲(中国東北部)という同じ地域に狙いを定めました。こうして20世紀最初の大規模な戦争である日露戦争が始まります。
モンテネグロは、対トルコ戦での支援への見返りとして、また「勝ち馬」に賭けるという思惑から、日本に対しても宣戦布告を行いました。しかし、ロシア国内の混乱と日本海軍の圧倒的な力により、世間の予想に反して勝利は日本側に傾きます。1905年9月5日、アメリカ合衆国大統領セオドア・ルーズベルトの仲介により、ロシアと日本の代表団は米国ポーツマスでポーツマス条約に調印しました。ところが、モンテネグロの代表は誰一人としてこの場に姿を見せなかったのです。
日露戦争
ユーゴスラビアの解体とモンテネグロの独立
時は流れて1991年、バルカン紛争の中で、スロベニア、クロアチア、マケドニア、ボスニア・ヘルツェゴビナの各共和国が社会主義連邦共和国ユーゴスラビアから相次いで分離し、連邦にはセルビアとモンテネグロのみが残りました。2003年には国家名も「セルビア・モンテネグロ」へと変更されています。
そして2006年5月21日に実施された住民投票では、55.4%のモンテネグロ国民が独立を支持しました。同年6月3日、モンテネグロ議会はこの結果を受けて独立を宣言し、セルビア・モンテネグロという国家連合は消滅。セルビアとモンテネグロの二つの国家へと分裂したのです。
102年の時を経てついに和平成立
ここでようやく、ある人物が重大な事実に気づきました。モンテネグロは102年もの間、日本と戦争状態のままだったのです。日露戦争の講和条約であるポーツマス条約にモンテネグロは署名していなかったため、書類上は両国が依然として交戦状態にあることになっていたのです。
2006年6月末、日本の外務副大臣山中あき子氏がモンテネグロの首都ポドゴリツァを訪問し、平和条約に調印しました。これにより日本はモンテネグロを独立国家として正式に承認し、一世紀以上にわたって続いた「本当の百年戦争」についに幕が下ろされたのです。
モンテネグロ
出典:Daily Onigiri、History News Network、Tofugu