ヨーロッパの歴史

セウェルス王朝の創始者!第20代ローマ皇帝セプティミウス・セウェルスの波乱に満ちた生涯

セウェルス王朝の創始者!第20代ローマ皇帝セプティミウス・セウェルスの波乱に満ちた生涯

ローマ皇帝コンモドゥスが暗殺されると、近衛兵に担がれて即位したペルティナクスも、わずか数か月で近衛兵の手によって殺害されてしまいました。さらに近衛兵は、次の皇帝の座を「競売」にかけるという前代未聞の暴挙に出ます。

この競売に勝って帝位を手にしたのはディディウス・ユリアヌスでした。しかし、これに納得しない各属州の総督たちは、次々と皇帝を名乗り始めます。

  • ブリタンニア総督 クロディウス・アルビヌス
  • シリア総督 ペスケンニウス・ニゲル
  • パンノニア総督 セプティミウス・セウェルス

3人とも、先帝マルクス・アウレリウス・アントニヌス(哲学者皇帝)によって任命された有能な武将でした。アウレリウスが危惧していた通りの事態――帝国は、属州同士が覇を争う内戦の時代へと突入していきます。

圧倒的な速度でローマへ進軍

セウェルス王朝の創始者!第20代ローマ皇帝セプティミウス・セウェルスの波乱に満ちた生涯

皇帝を名乗った総督の中で、真っ先にローマへ到達したのがセウェルスでした。パンノニア(現在のハンガリー周辺)は地理的にローマに近かったことも一因ですが、それ以上にセウェルス自身の行動の速さが大きかったとされています。

セウェルスの動きに怯えたユリアヌスは共同統治を持ちかけますが、あっさり無視されました。そして元老院と近衛兵は、セウェルスを恐れるあまり、ユリアヌスを処刑してしまうのです。

こうしてローマに入城したセウェルスは、まずコンモドゥスを殺した近衛兵を解散させ、その後、元老院の承認を受けて正式にローマ皇帝となりました。ここに「セウェルス朝」が始まります。

しかし、ローマを手に入れても敵は残ったままです。セウェルスは東方へ向かい、シリア総督ニゲルとの決着をつけることを決意します。

帝位を懸けた戦い

セウェルスはまずブリタンニア総督アルビヌスと手を結び、シリアへ軍を向けました。

帝国の要衝シリアを守るニゲルも容易な相手ではありません。北方から一気に南下してきたセウェルスの兵たちは、気候の差や長距離移動による疲労に苦しんだのでしょう、初戦ではニゲルに敗北を喫します。

ニゲルはセウェルスに共同統治を持ちかけましたが、今度はセウェルスが拒否。決戦の地となったのはイッソスでした。戦いは当初互角でしたが、最終的に勝利したのはセウェルスです。

ちなみにこのイッソスは、かつてアレクサンドロス大王とペルシャ王ダレイオス3世が激突した地でもあります。大軍同士がぶつかる場所は限られているため、世界史では同じ場所で何度も決戦が繰り広げられることがあるのです。

決定的な敗北とは言い難いものでしたが、逃亡したニゲルはやがて運命から逃れることはできず、命を落とすことになりました。

ニゲルを滅ぼした今、残る敵はかつての盟友アルビヌスのみです。両軍は現在のフランス・リヨン付近で激突しました。結果はセウェルスの圧勝。アルビヌスは戦場で果てます。

こうしてセウェルスはすべての戦いに勝利し、ローマへの帰還を果たしたのです。

皇帝セプティミウス・セウェルスの統治

世界史において、セウェルス朝はセプティミウス・セウェルスの即位をもって始まるとされます。この時代以降、元老院は形骸化し、武力を持つ者が政治を動かす「軍人皇帝時代」への道が開かれていきました。

皇帝となったセウェルスが最初に行ったのは、コンモドゥスに対する「記憶からの抹消」の撤回です。理由は定かではありませんが、「マルクス・アウレリウスの正統な後継者でありたい」という思惑があったという説があります。

また、息子カラカラを「インペラトル・デスティナトゥス(皇位継承予定者)」の地位に就けるよう元老院に求め、息子を次期皇帝として認めさせました。

セウェルスは故郷である北アフリカのレプティス・マグナに大規模な公共事業を次々と実施し、出身地を大いに繁栄させました。日本でいえば、故郷に金脈をもたらした田中角栄のような存在だったと言えるでしょう。

元老院は完全にセウェルスの掌の上でした。かつてのローマ皇帝は「プリンケプス(第一市民)」という建前を掲げていましたが、この頃から「インペラトル」「カエサル」という専制君主としての色合いが明確になっていきます。

反抗的な態度を見せた元老院議員は容赦なく粛清され、キリスト教徒への弾圧も強まりました。もはやセウェルスに逆らえる者は誰一人としていなかったのです。

病に倒れ、遺言も空しく

人は必ず死にます。権力の頂点に立ったセウェルスも例外ではありません。彼はブリタンニア遠征の途上で病に倒れ、そのままこの世を去りました。

死の床でセウェルスは、愛する息子たちを呼び寄せ、「兄弟仲良くするように」という言葉を遺したと伝えられます。セウェルスは妻ユリア・ドムナと息子たちカラカラ、ゲタを深く愛し、帝国中に家族の肖像画を配らせるほどでした。

しかし、この言葉は守られませんでした。セウェルスの死後、弟ゲタは兄カラカラによって殺され、帝国中に配られていた肖像画からは、ゲタの顔が削り取られたといいます。

セウェルスは、かつてのマルクス・アウレリウスと同じ過ちを犯してしまったのです。それは「皇帝にふさわしくない者を後継者に指名すること」でした。

ローマは坂道を転げ落ちるように衰退していくことになります。もはや、それを止められる者は誰もいないのです。