
1940年10月、イタリアは何ら正当な理由もなくギリシャへ侵攻した。当時のギリシャ軍は、編制・訓練・装備の面で大きく前進していたものの、依然として多数の深刻な不足を抱えていた。
パンテリス・D・カリカス 著
こうした装備上の欠落の一部は、北方大陸戦線(アルバニア戦線)で勝利したギリシャ軍の手に落ちた大量のイタリア軍の鹵獲品、および北アフリカでイタリア軍を破った同盟国イギリス軍から引き渡された兵器によって補われた。
機関銃・短機関銃
重機関銃の分野では、8mmブレダ重機関銃311丁とフィアット8mm重機関銃258丁が、北方大陸戦線での鹵獲品としてギリシャ軍の手に渡った。さらにイギリス軍からもフィアット重機関銃250丁が提供され、このうち114丁が修理を経て各部隊に配備された。
軽機関銃では、6.5mmブレダ軽機関銃が合計2,293丁鹵獲され、そのうち1,993丁が北方大陸戦線で入手されたものである。このうち804丁は修理が可能となり部隊に配備された。また、ベレッタM18、M18/38、M38といった短機関銃も一定数が実戦で使用された。
迫撃砲
迫撃砲の分野では、複数の81mm迫撃砲と、45mmブリクシア迫撃砲数百門がギリシャ軍の手に入った。うち234門は北方大陸戦線から、201門はアフリカ戦線からのものだった。なお、北エピロスで鹵獲された迫撃砲の実際の数はこれよりはるかに多いとみられる。多くの迫撃砲が部隊によってそのまま保持され、公式には記録されなかったためである。
山砲・野砲
65mm山砲42門が鹵獲され、さらに9門がイギリス軍から引き渡された。ただし実際に使用可能となったのは20門のみだった。また75mm山砲33門も鹵獲され、うち28門が使用に供された。イギリス軍からはさらに75mm野砲50門が提供されたが、修理を行う時間がないまま終戦を迎えた。
長砲身の149mm野砲7門も運用可能となり、100mm砲15門が鹵獲されたが、実際に活用できたのはわずか4門にとどまった。対空火器の分野では20mm砲8門が確保されたものの、こちらは結局活用されなかった。
対戦車兵器
対戦車砲としては、合計53門の47mm砲がギリシャ軍の手に渡った(うち30門はイギリス軍からの提供)。このうち38門は、イタリア軍およびドイツ軍に対して実際に使用されている。さらにイギリス軍は強力な20mmソロターン対戦車銃S-18/100を15丁提供し、うち14丁が第一線の戦闘部隊に配備された。
小銃と弾薬
小銃については、6.5mm小銃12,700丁が鹵獲され、さらに8,000丁がイギリス軍から引き渡された。このうち11,500丁が部隊に配備された。同時に、膨大な量の弾薬もギリシャ軍の手に落ちた。数万発の手榴弾、数百万発の実包、数千発の迫撃砲弾が、かつての所有者であったイタリア軍に対して撃ち込まれたのである。
鹵獲戦車と第19機械化師団
戦車の分野では、ギリシャ軍はCV-33/35豆戦車を多数と、少数のM13/40、そしておそらくM14/41も掌握した。正確な総数は不明だが、27両とする資料と40両とする資料がある。これらの鹵獲戦車は第19機械化師団の編成に充てられ、1941年のドイツ軍侵攻に対する防衛戦で運用された。
「最良の補給者」は敵だった
以上の事実が示すように、結局のところ、ギリシャの交戦相手であるイタリアこそが、開戦中のギリシャにとって最良の武器・弾薬の供給源となったと言っても過言ではない。これは、両国軍が互いに似通った規格の装備を使用していたことによる、歴史の皮肉といえるだろう。

鹵獲したCV-33豆戦車と共に立つギリシャ兵。

鹵獲したイタリア製M13/40戦車と共に並ぶギリシャ兵たち。

20mmソロターン対戦車銃。

47mm砲を操作するイタリア兵たち。

45mmブリクシア迫撃砲を扱うイタリア兵。