古代ギリシャの聖地デルフォイに対して仕掛けられた二度の異民族侵攻――紀元前480年のペルシア軍、そして紀元前279年のガリア(ケルト)軍。古代の著述家たちは、いずれの場合にも不思議な現象が起こったと証言することで一致している。まず雷鳴が轟き、煙が噴き出したかと思うと、パルナッソス山から巨大な岩塊が剥がれ落ちてきたのである。紀元前480年には、この落石がペルシア軍の頭上に崩れ落ち、辛うじて生き残った者たちは恐怖に駆られ、無秩序に逃げ散ったという。
ガリア軍を襲ったさらなる惨禍――パウサニアスの記録
紀元前279年のガリア人たちは、さらに酷い目に遭うことになった。その様子は、2世紀の旅行家パウサニアスによって詳細に記録されている。
「ブレンヌス(ガリア人の指導者)は、アキコリオス麾下の残りのガリア軍が陣営から到着するのを待たず、ただちにデルフォイへ進撃した」
「デルフォイの住民たちは恐ろしさのあまり神託所へ逃げ込んだ。だが神は、自らの権威を守る力を持つのだから恐れることはない、と彼らを励ました。聖域を守るために馳せ参じたギリシャ人は以下の通りである。フォキス全都市の兵士、アンフィッサからは重装歩兵400名、さらにエトリア人の一隊も、蛮族が進撃を続けていると知るや合流した」
「その後、将軍フィロメロスがさらに1,200名を率いて到着した。エトリアの精鋭たちはアキコリオスの軍に攻めかかったが、敵は正面からの決戦を避け、はぐれた輜重部隊を急襲して、奉納の器物を奪い、その従者たちを殺害した」
「こうしてガリア軍は緩慢な進軍を余儀なくされた。アキコリオスは軍の一部を陣営の警備に残していた。デルフォイに結集したギリシャ勢は総力を挙げてブレンヌスとその軍に立ち向かった。そして神は、我々の知るものよりも遥かに多く、遥にはっきりとした徴(ゼウスの標)を、当初から示し始めたのである」
「ガリア軍が陣取っていた土地では、一日に幾度も激しい地震が起こり、絶え間なく雷鳴が響き、稲妻が降り注いだ。雷鳴はケルト人を怯えさせ、稲妻は直撃された者のみならず、その近くにいた者までをも殺した……」
「さらに、英雄ヒュペロコス、ラオドコス、ピュロスの霊がケルト人の前に現れた。デルフォイの土着の英雄ピュラコスも姿を見せたと唱える者もある」と、パウサニアスは記している(『フォキス誌』10巻22章)。
600年前のヘロドトスとほぼ一致する記述
パウサニアスの描写は実に印象的であり、そして皮肉なことに、約600年先行するヘロドトスによる対応する記述とほぼ完全に一致している。
とりわけ示唆的なのは、稲妻が単独の兵士ではなく、集団となったガリア人を殺し、彼らの武器までも破壊したと伝える箇所である。その一方で、これらの稲妻は「ケルト人を怖れさせた」雷鳴と結び付けられている。
悪天候に慣れきったケルト人が、なぜ雷に震えたのか
ここで大きな疑問が生じる。ギリシャよりはるかに過酷な気候の国の出身であり、荒天には慣れ抜いているはずの、経験豊富なケルトの戦士たちが、いくらかの稲妻に、まるで人生で一度も同じような気象現象に出会ったことがないかのように怯えたというのである。
デルフォイの神官団は「稲妻」の秘密を知っていたのか
もしや、紀元前6世紀にキッラの民を「生物学的に」壊滅させた張本人であるデルフォイの神官団は、「稲妻」の秘密――すなわち、ある種の爆発性物質――を知っていたのではないだろうか。山崩れもまた、そうした物質の使用によって引き起こされたものだとしたら? そしてガリア人たちの大量死も、大規模な爆発の仕業だったのだろうか。
なお、キッラ(クリサ)とは、第一次神聖戦争(紀元前600年頃)においてデルフォイ側の同盟軍に包囲され、水路に毒物を流されて陥落したと伝えられる都市である。「生物学的破壊」という表現は、この出来事を指している。
確かなところは定かではない。だが、自然現象とギリシャ側の粘り強い防衛だけでは説明しきれない不可解な点が数多く残されており、聖地デルフォイを守った「奇跡」の正体は、今なお厚い謎のベールに包まれたままなのである。