ヨーロッパの歴史

セナ・ガリカの海戦:ビザンツ艦隊が東ゴート海軍47隻を壊滅させた決戦

セナ・ガリカの海戦:ビザンツ艦隊が東ゴート海軍47隻を壊滅させた決戦

セナ・ガリカの海戦:ビザンツ艦隊が東ゴート海軍を全滅させた決戦

6世紀半ばのイタリア半島では、ビザンツ帝国と東ゴート王国との戦争(ゴート戦争)が血みどろの様相を呈していた。序盤はビザンツ側が優勢だったものの、有能な王トティラの指揮の下で東ゴート軍は勢力を巻き返し、ビザンツ軍を沿岸部のわずかな拠点へと追い詰めるまでになった。その勢いは止まらず、ついにはシチリア島への侵攻すら実現している。

さらにトティラは400隻からなる大艦隊を編成し、海上におけるビザンツの制海権に正面から挑戦した。その目的は、海路によるビザンツ増援部隊のイタリア上陸を完全に封じ込めることにあった。

アンコーナ包囲と艦隊の出動

時を同じくして、トティラはビザンツ側の重要な海軍基地であるアンコーナの包囲を決断した。陸軍が市を取り囲む一方、47隻のゴート艦隊が海上からの連絡路を遮断。さらに別働隊300隻はイオニア諸島やエピロス沿岸へ出撃し、広範囲に脅威を撒き散らした。

この危機に対し、ラヴェンナ総督ヴァレリアヌスは、ダルマチアに駐留していた将軍ヨハネスに対し、アンコーナ守備隊への急行増援を命じた。ヨハネスは直ちに38隻を率いて包囲下の都市へ向け出航し、その途上でヴァレリアヌス麾下の12隻と合流を果たした。

海上での殲滅戦

アンコーナ封鎖に参加していたゴート艦隊の提督インドゥルフとギバルは、手持ちの47隻をもって即時攻撃を決断した。両軍はアンコーナ北方、沿岸の町セニガッリア(当時の呼称はセナ・ガリカ)沖で激突したのである。

ゴート軍は勇猛だったものの、その攻撃は極めて無秩序だった。提督も乗員も海戦の経験が浅く、「水の元素」とも言うべき海洋環境に馴染んでいなかったためである。開戦早々複数のゴート船が隊列を崩し、見事な陣形を維持して進むビザンツ艦隊に対し、各船がばらばらに突っ込んでいった。

孤立したゴート船はビザンツ軍にとって格好の標的となり、次々と撃沈されていった。ゴート側の提督たちは態勢の立て直しを命じたが、乗員の未熟さゆえに今度は味方同士が衝突し始めた。こうした大混乱に乗じ、経験豊富なビザンツ艦隊が一気に圧力を強め、ゴート船を次々と拿捕し、火を放っていったのである。

インドゥルフは11隻とともに脱出に成功したが、アンコーナ近郊の海岸に到達すると、部下たちと共に上陸し、自らの手で船を焼き払った。それほどまでに士気は失われていたのである。一方、ギバルは沈んだ36隻のゴート船の乗員の多くとともに捕虜となった。ビザンツ艦隊は一隻も失うことなく勝利を収め、凱旋のままアンコーナへ入港した。

戦局を変えた勝利

敗北の報せは、アンコーナを包囲していたゴート陸軍にもパニックを引き起こし、彼らは包囲を解いて潰走した。このビザンツの海戦勝利は、戦争全体の流れを大きく変える転換点となった。これに続いて名将ナルセス率いる大規模な反攻が展開され、東ゴート王国は最終的な敗北へと追い込まれていくことになるのである。