ヨーロッパの歴史

ベルサイユ条約によって分割されたヨーロッパの帝国はどれ?ドイツ帝国とオーストリア=ハンガリー帝国の解体

1919年に調印されたベルサイユ条約は、第一次世界大戦の戦後処理を定めた歴史的な平和条約であり、ヨーロッパの帝国体制に決定的な変化をもたらしました。この条約によって直接大きな影響を受けたのはドイツ帝国であり、また同じ時期にオーストリア=ハンガリー帝国が解体へと向かいました。

ドイツ帝国:領土喪失と軍備制限

ベルサイユ条約は主にドイツ帝国を対象とした条約であり、その影響は甚大でした。主な内容は以下の通りです。

  • アルザス=ロレーヌ地方をフランスに返還
  • ポーランド回廊の割譲により、ポーランドがバルト海への出口を獲得
  • ダンツィヒ(現グダニスク)が国際連盟管理の自由都市に
  • ザール地方が15年間国際連盟の管理下に置かれる
  • 海外植民地はすべて剥奪され、国際連盟の委任統治領として再分配
  • ラインラントの非武装化と莫大な賠償金の負担

オーストリア=ハンガリー帝国の解体

オーストリア=ハンガリー帝国は、大戦末期から敗戦にかけて民族自決の動きの中で崩壊し、正式にはサン=ジェルマン条約(1919年)とトリアノン条約(1920年)によって解体が確定しました。この結果、以下のような新しい国家群が誕生しました。

  • オーストリア共和国
  • ハンガリー
  • チェコスロバキア
  • セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国(後のユーゴスラビア)

さらに、一部の領土はポーランド、ルーマニア、イタリアなど周辺国に譲渡されました。

その他の帝国との違い

一方で、オスマン帝国はセーブル条約(1920年)とその後のローザンヌ条約(1923年)で処理され、ロシア帝国はすでに1917年の革命によって崩壊していました。つまり、ベルサイユ条約そのものが直接対象としたのはドイツ帝国であり、オーストリア=ハンガリー帝国の解体は関連する一連の講和条約の結果として実現したものです。

まとめ

ベルサイユ条約によって領土を大幅に削られ、帝国としての地位を失ったのはドイツ帝国であり、これと前後してオーストリア=ハンガリー帝国も複数の民族国家へと分裂・解体しました。両帝国の消滅は、20世紀ヨーロッパの政治地図を根本的に塗り替えることとなったのです。