ヨーロッパの歴史

アメリカ憲法を支えた4つの妥協――連邦主義者と反連邦主義者の対立をどう乗り越えたのか

はじめに:憲法制定をめぐる対立

1787年、フィラデルフィアで開催された制憲会議では、強力な中央政府を志向する連邦主義者(Federalists)と、州の権限を重視する反連邦主義者(Anti-Federalists)との間で激しい意見の対立がありました。両者の溝を埋めるために結ばれたのが、以下に紹介する一連の重要な妥協です。これらの妥協がなければ、アメリカ合衆国憲法は批准されず、今日の合衆国は存在しなかったかもしれません。

1. 大妥協(コネチカット妥協)

大妥協(Great Compromise)は、別名コネチカット妥協とも呼ばれ、新しい連邦政府において各州をどのように代表させるかという問題を解決したものです。

連邦主義者側は人口に比例した代表制度を望みました。これは人口の多い大州に有利な仕組みです。一方、反連邦主義者側は、州ごとに同数の代表を持つ平等な代表制度を主張し、こちらは小州に有利でした。

最終的な妥協案として採用されたのが二院制議会です。各州が同数の議席を持つ上院(Senate)と、人口に比例して議席が配分される下院(House of Representatives)を設けることで、大州と小州双方の要求を両立させました。

2. 五分の三(3/5)妥協

五分の三妥協(Three-Fifths Compromise)は、州の人口を算定する際に奴隷をどう数えるかという問題に関するものであり、実質的には南部諸州と北部諸州の利害が衝突した案件でした。

南部諸州は奴隷を全面的に人口へ算入することを求めました。そうすれば連邦政府においてより大きな発言力を得られるからです。一方、北部諸州は奴隷を一切数えないことを主張しました。

その結果、人口算定の目的に限り、奴隷1人を5分の3人として数えるという妥協が成立しました。なお、この規定は南北戦争後の憲法修正第14条により撤廃され、現在ではすべての人々が等しく人口に数えられています。

3. 通商妥協

通商妥協(Commerce Compromise)は、連邦政府が州際通商をどのように規制するかという問題を扱ったものです。

連邦主義者は連邦政府に州際通商を規制する権限を与えることを望み、反連邦主義者は各州がこの権限を保持すべきだと考えました。

妥協の結果、連邦政府に州際通商を規制する権限が与えられる一方で、州が他州からの輸出入品に関税や課税金を課すことは禁止されました。これにより、全国的な統一経済圏の形成と、州の権益保護とのバランスが図られました。

4. 権利章典(合衆国権利法案)

権利章典(Bill of Rights)は、厳密には連邦主義者と反連邦主義者の間の「妥協」ではありませんでしたが、反連邦主義者が提起した懸念に応える形で憲法に追加されたものです。

反連邦主義者は、強力な中央政府が個人の自由を脅かす恐れがあると警戒し、権利の明文規定を強く求めていました。これを受けて1791年、言論・宗教・集会の自由をはじめとする基本的な個人の権利と自由を保障する最初の10か条の修正条項が追加されました。

まとめ:妥協が生んだ合衆国

以上の4つの要素――大妥協、五分の三妥協、通商妥協、そして権利章典――は、各州による憲法批准を実現するうえで不可欠なものでした。これらがなければ、憲法は否決され、アメリカ合衆国は誕生しなかった可能性が高いでしょう。対立する立場同士が歩み寄る姿勢こそが、合衆国憲法の持続的な生命力の源泉となっているのです。