イタリアのレジスタンス運動(パルチザン闘争)は、1943年9月に本格的に始まりました。その直接的なきっかけとなったのは、イタリアと連合国との間で締結された「カッシビレの休戦協定」の発表です。
カッシビレ休戦協定と運動の開始
1943年9月8日、バドリオ政権は連合国との間で極秘に交渉していた休戦協定の存在を公表しました。これにより、それまでドイツの同盟国として第二次世界大戦を戦っていたイタリアは、突如としてナチス・ドイツの敵対国へと立場が一変します。
この発表を受け、ドイツ軍は直ちに北・中部イタリアへの進駐を開始し、ムッソリーニを救出して傀儡国家「イタリア社会共和国(サロ政権)」を樹立しました。こうした占領体制に抗する形で、各地の市民や元兵士たちによる武装抵抗、すなわちレジスタンス運動が勃発したのです。
国民解放委員会(CLNAI)の結成
運動を組織的に支えたのが、1943年9月9日にローマで結成された国民解放委員会(CLNAI)です。共産党、社会党、キリスト教民主党など、対独ファシズム闘争に賛同する諸政党が協力し、山岳地帯を拠点としたパルチザン部隊の編成や、地下活動の指導を行いました。
運動の意義と終わり
レジスタンスの闘いは約20か月に及び、破壊工作、情報収集、ゲリラ戦など多方面で連合軍を支援しました。そして1945年4月25日、北部主要都市での武装蜂起によってドイツ占領軍が降伏し、イタリアは解放されます。この日を記念して、現在のイタリアでは毎年4月25日が「解放記念日」として祝われています。
このように、イタリアのレジスタンス運動は1943年9月の休戦協定発表を起点に始まり、単なる軍事的抵抗にとどまらず、戦後イタリアの民主主義の礎を築いた運動として歴史に刻まれています。