1910年代のカリブ海地域は、列強の勢力争いの渦中にありました。第一次世界大戦前後のこの時期、アメリカ合衆国はドイツがカリブ海に軍事拠点を築くことを強く警戒していました。その懸念が具体化したのが、ハイチとドミニカ共和国への軍事介入です。
1915年:ハイチ占領の開始
1915年、アメリカは1,500人を超える海兵隊員と水兵をハイチへ派遣しました。当時のハイチ政府は数年にわたって政治的混乱が続き、国内情勢は極めて不安定な状態にありました。アメリカは、この混乱に乗じてドイツがハイチを侵略し、同国に軍事基地を設立するおそれがあると判断したのです。
上陸した海兵隊は瞬く間に首都ポルトープランスを占領し、ハイチ大統領に辞任を迫りました。その後、アメリカは軍政を樹立し、以降19年間にわたってハイチを統治することになります。
1916年:ドミニカ共和国への派兵
翌1916年には、同じ目的でドミニカ共和国にも同様の部隊が送られました。ドミニカ共和国の政治状況はハイチよりもさらに深刻であり、ドイツがこの混乱を利用して軍事基地を建設する可能性が強く懸念されていました。
海兵隊は首都サントドミンゴを速やかに制圧し、ドミニカの大統領に辞任を要求しました。アメリカはここでも軍政を設立し、8年間にわたって同国を支配することとなります。
占領の評価と歴史的遺産
両国に対するアメリカの占領は大きな論争を呼び、ラテンアメリカ諸国から広く批判を受けました。国家主権への侵害であることは疑いようがありません。しかし一方で、これらの占領によってドイツによる両国の掌握が阻止されたことも事実です。
また、占領期間中、アメリカは両国におけるインフラ整備や公衆衛生の改善にも取り組みました。道路や橋の建設、衛生環境の向上など、一定の近代化をもたらした側面があります。とはいえ、その代償として両国の主権が長年にわたって奪われたことは、今日の歴史評価においても重く受け止められています。