ヨーロッパの歴史

第一次世界大戦でアメリカの世論を中立から戦争へと動かした要因とは?

第一次世界大戦の勃発当初、アメリカは「中立」の立場を堅持していました。しかし、1917年の参戦に至るまでに、国内の世論は次第に連合国側へと傾いていきます。その転換点となった出来事の一つが、ドイツによる客船「ルシタニア号」の撃沈でした。

ルシタニア号沈没事件――世論を一変させた悲劇

1915年5月、イギリス籍の豪華客船ルシタニア号が、アイルランド沖でドイツ海軍のUボート(潜水艦)により撃沉されました。この攻撃により、乗員・乗客合わせて1,100人以上が命を落とし、そのうち128人がアメリカ人でした。

一般市民を巻き込んだこの無差別攻撃は、アメリカ全土に衝撃と怒りをもたらしました。「非武装の民間人をも標的にするドイツ」というイメージが広く定着し、それまで曖昧だった対独感情が一気に硬化。連合国(イギリス・フランス側)への支持を固める大きな契機となったのです。

その他の決定的な要因

ルシタニア号事件以外にも、アメリカの中立を揺るがした重要な出来事があります。

無制限潜水艦作戦の再開

1917年初頭、ドイツはイギリスへの海上封鎖を強化するため、警告なしに商船を攻撃する「無制限潜水艦作戦」を再開しました。これによりアメリカ船舶も相次いで攻撃され、対独開戦の口実が積み重なっていきました。

ツィンメルマン電報事件

1917年1月、ドイツのツィンメルマン外相がメキシコ宛てに送った秘密電報がイギリスによって傍受・公開されました。その内容は、「アメリカとの戦争になった場合、メキシコに参戦を促し、テキサス・ニューメキシコ・アリゾナの領土返還を約束する」という衝撃的なものでした。この電報の公表により、アメリカ国民は「ドイツは自国にとって直接の脅威である」と認識するようになりました。

まとめ

ルシタニア号沈没をはじめとする一連の出来事は、アメリカの世論を「遠いヨーロッパの戦争」から「自国に関わる戦争」へと認識を変えさせました。こうした流れの中でウィルソン大統領は議会に宣戦布告を求め、1917年4月、アメリカは第一次世界大戦への参戦を決断することとなるのです。