ヨーロッパの歴史

アインシュタインはアメリカに来たのか?渡米の経緯とプリンストンでの生涯を解説

1921年の初訪問:ミリカンの招きで渡米

アルベルト・アインシュタインは、確かにアメリカ合衆国を訪れ、最終的には同国に永住することとなりました。最初の渡米は1921年、物理学者ロバート・ミリカンの招聘によるものです。この際、コロンビア大学やプリンストン大学など複数の大学で講義を行い、アメリカにおける科学研究の水準や、研究者同士の協力と発展をもたらす豊かな機会に強い印象を受けたと伝えられています。

1933年:ナチスの台頭と永住への決断

1933年、ドイツでナチ党(ナチス)が政権を掌握すると、ユダヤ系であることに加え、率直な平和主義の主張が目立ったことから、アインシュタインは次第に嫌がらせや迫害を受けるようになりました。こうした状況を受け、彼はアメリカへの永住移住を決意します。当時新設されたばかりのニュージャージー州プリンストンの高等研究所(Institute for Advanced Study)の職に就き、以降、亡くなるまで同所で研究を続け、学術コミュニティに多大な貢献を果たしました。

アメリカでの研究活動と業績

アメリカでの生活の中で、アインシュタインは物理学へ重要な貢献を重ね、世界的な評価と名声を確固たるものにしていきました。画期的な論文を発表し続けるだけでなく、多くの著名な科学者たちとの共同研究も行っています。

なお、一般相対性理論自体は1915年にドイツで完成させていましたが、アメリカ時代のアインシュタインは相対性理論のさらなる発展や、重力と電磁気力を統一しようとする「統一場理論」の探究など、20世紀の科学に大きな影響を与える研究を推し進めました。

実り多かった第二の故郷

アインシュタインにとってのアメリカ移住は、個人的にも研究者としても実り多いものでした。彼はそこで知的自由と豊かな機会、そして歓迎的な環境を手に入れ、1955年に亡くなるまで精力的に研究に打ち込み、世界の科学史に消えることのない足跡を残したのです。