ヨーロッパの歴史

フランツ・フェルディナント大公の出生名とは?

フランツ・フェルディナント大公の出生名

オーストリアのフランツ・フェルディナント大公の出生名(洗礼名)は、フランツ・フェルディナント・カール・ルートヴィヒ・ヨーゼフ・マリア・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲン(Franz Ferdinand Carl Ludwig Joseph Maria von Habsburg-Lothringen)です。

ハプスブルク家では、聖人や歴代の先祖にちなんだ複数の名前を連ねて授ける伝統がありました。「カール」「ルートヴィヒ」「ヨーゼフ」などの名はこうした慣習に基づくもので、「マリア」も当時のカトリック王侯の間では、信仰心への敬意を込めて男子のミドルネームとして用いられることが珍しくありませんでした。

フランツ・フェルディナント大公とはどんな人物?

フランツ・フェルディナントは1863年生まれのオーストリア=ハンガリー帝国の大公で、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の後継者(皇位継承予定者)とされていました。

しかし1914年6月28日、視察のため訪れていたボスニアのサラエボで、セルビア人青年ガブリロ・プリンツィプの銃撃により妻ゾフィーとともに暗殺されます。この事件は第一次世界大戦勃発の直接的な引き金となり、20世紀の歴史を大きく左右する出来事として知られています。