ナショナリズム(民族主義)と復讐心
1870年〜71年の普仏戦争でフランスはプロイセン(後のドイツ)に敗北し、アルザス=ロレーヌ地方を失いました。この屈辱的な経験により、フランス国内では「ルヴァンシュ(revanche=復讐)」を掲げる世論が高まります。失われた領土の奪還こそが国家の名誉と誇りを取り戻す道であると考えられたのです。こうした強烈な民族主義感情は、フランスを戦争へと駆り立てる最大の原動力の一つとなりました。
複雑に絡み合う同盟システム
当時のヨーロッパは、列強同士が締結した同盟網によって覆われていました。ドイツは二国同盟(独墳同盟)以降の一連の条約を通じてオーストリア=ハンガリー帝国およびイタリアと結びつき、三国同盟を形成していました。
これに対抗する形で、フランスは1894年にロシアとの間で露仏同盟を締結しました。このような同盟体制のもとでは、ある一国への攻撃が自動的にその同盟国をも巻き込み、地域紛争が瞬く間にヨーロッパ全土を巻き込む大規模な戦争へと拡大する危険性を常にはらんでいたのです。
ベルギー中立の侵害
1914年に第一次世界大戦が勃発すると、ドイツはフランス本土へ迅速に進軍するため、中立国であるベルギーへの侵攻を強行しました。しかし、ベルギーの中立はイギリスとの協定によって保障されていたため、この約束を守るべくイギリスが参戦。それに伴い、フランスも正式に戦争へと引き込まれていくことになりました。
まとめ
フランスが第一次世界大戦に突入した背景には、①普仏戦争以来の対独復讐心という民族的動機、②列強間の綱張った同盟システム、③ベルギー中立侵害をめぐる国際的義務という3つの要因が複雑に絡み合っていました。これらが重なり合った結果、フランスはもはや回避できないものとして大戦へと足を踏み入れることになったのです。