ヨーロッパの歴史

第一次世界大戦前、ドイツはイギリスに嫉妬していたのか?

第一次世界大戦が勃発する前の十数年間、ドイツとイギリスの関係は決して単純なものではありませんでした。両国は互いに重要な貿易相手であり、王室同士も深い血縁関係にある一方で、ドイツ側にはイギリスに対する強い羨望と対抗心が渦巻いていたのです。

ドイツが抱いた「嫉妬」の中身

19世紀末から20世紀初頭にかけて、イギリスは世界最大の植民地帝国を築き、「太陽の沈まない国」と呼ばれるほどの繁栄を誇っていました。これに対し、統一が遅れた後発の列強であったドイツは、自国の国際的地位が急成長した経済力・軍事力に見合っていないと感じていました。

特に皇帝ヴィルヘルム2世が掲げた「世界政策(ヴェルトポリティーク)」は、イギリスのような世界的影響力と植民地を獲得することを目指す路線でした。その背景には「イギリスが持つものをドイツも欲しい」という感情、すなわち嫉妬にも似た競争意識があったといえます。

建艦競争という対立の構図

こうした羨望が最も顕著に表れたのが海軍力の分野です。1898年以降、ティルピッツ提督の主導のもと、ドイツは大規模な艦隊拡張計画を推進しました。これは当時世界第一の海上覇権を握るイギリス海軍への明確な挑戦であり、両国間で激しい建艦競争を引き起こしました。

この競争はイギリス側に強い警戒心を植え付け、1906年の弩級戦艦「ドレッドノート」の建造などを通じて、技術開発と緊張の悪循環をさらに加速させることとなりました。

外交関係は必ずしも敵対的ではなかった

ただし、国家間の公式な関係が常に敵対的だったわけではない点には注意が必要です。両国は最大級の貿易相手国同士であり、市民社会の間では友好的な感情を抱く人々も多く存在しました。

その一方で、愛国的・排他的な傾向の強い層の間では相互の不信感が増幅され、世論は次第に分極化していきました。また、1904年に結ばれた英仏協商(アンタント・コルディアーレ)によってイギリスがフランスへ接近すると、ドイツは自国が包囲されつつあると認識するようになり、関係悪化にさらに拍車がかかりました。

そして開戦の日へ

このような緊張状態の中にあっても、ドイツが実際にイギリス本土へ侵攻することはありませんでした。しかし、1914年7月のサライェヴォ事件を発端とする危機のさなか、ドイツが中立国ベルギーに侵攻すると、イギリスはベルギー中立の保障を理由に、1914年8月4日、ドイツに対して宣戦布告を行いました。

こうして、羨望と対抗心、そして相互不信が積み重なった両国の関係は、ついに戦争という形で決定的な破綻を迎えることになったのです。