ヨーロッパの歴史

教皇グレゴリウス7世と神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世の対立はいつ起きたのか?——叙任権闘争の全貌

教皇グレゴリウス7世と神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世の対立は、1073年から1122年にかけて展開された「叙任権闘争」の中で起こりました。これは、司教や修道院長を任命する権限(叙任権)をめぐり、ローマ教皇庁と世俗君主が激しく争った中世ヨーロッパ最大級の権力闘争です。

対立の発端

1073年にグレゴリウス7世が教皇に就任すると、教会改革を強力に推進しました。1075年頃には「教皇勅書(Dictatus Papae)」を通じて、皇帝による聖職者任命の禁止や教皇権の優越を宣言します。これにハインリヒ4世が強く反発したことで、両者の対立は決定的なものとなりました。

相互破門と「カノッサの屈辱」

1076年、ハインリヒ4世は教皇の廃位を宣言する一方、グレゴリウス7世も皇帝を破門しました。破門により臣下たちの忠誠義務が解除されたハインリヒは政治的危機に直面し、1077年1月、イタリア北部のカノッサ城で雪の中3日間立ち続けて教皇に許しを請うたと伝えられています。この出来事は「カノッサの屈辱」として広く知られています。

1122年のヴォルムス協約による決着

その後も争いは断続的に続き、最終的に1122年、ハインリヒ5世と教皇カリストゥス2世の間で「ヴォルムス協約」が締結されました。皇帝は聖職者の宗教的叙任への関与を放棄し、代わりに世俗的な権益授与のみを認められる形で妥協が成立。これにより、約50年に及んだ叙任権闘争は一応の決着を迎えました。