はい、プロイセンはワーテルローの戦いに参加していました。しかも、この戦いの帰趨を左右するほど重要な役割を果たしたのです。
ワーテルローの戦いとは
ワーテルローの戦いは、1815年6月18日に現在のベルギー領ワーテルロー近郊で行われた、ナポレオン戦争の最終決戦です。フランス皇帝ナポレオン・ボナパルト率いるフランス軍が、第七次対仏大同盟軍と衝突しました。同盟軍には、プロイセン、イギリス、ネーデルラント(オランダ)、その他のドイツ諸邦の軍隊が含まれていました。
プロイセン軍の果たした役割
プロイセン軍はゲプハルト・レベレヒト・フォン・ブリュッヘル元帥の指揮のもと、同盟軍の中核を担っていました。実は、わずか2日前の6月16日、リニーの戦いでプロイセン軍はナポレオン軍に敗北を喫しています。しかし、ブリュッヘルは撤退しながらもワーテルローでの英軍との合流を固く信じ、軍を再編成しました。
そして6月18日の午後遅く、ビューロー将軍率いるプロイセン軍の先鋒が戦場に到着。彼らはフランス軍の右翼、プランスノワ方面を攻撃し、ナポレオン軍の兵力を分散させました。夕刻には主力が戦場に投入され、疲弊したフランス軍の側面を突きました。
プロイセン軍の到着が勝敗を分けた
ウェリントン公率いるイギリス・同盟軍は、激しい攻撃に耐えながら辛うじて防衛線を維持していましたが、単独では勝利を確定できませんでした。プロイセン軍の到着によって数の優位が完全に同盟軍へ傾き、フランス軍は総崩れとなって潰走しました。
このように、ワーテルローにおけるプロイセン軍の参戦は単なる支援ではなく、ナポレオンを最終的に打倒する上で不可欠な要素でした。この敗北によりナポレオンは退位を余儀なくされ、セントヘレナ島への流刑という形で、彼の時代は幕を下ろすこととなりました。