活版印刷術の発明者として知られるヨハネス・グーテンベルク(約1400年〜1468年)。そんな偉大な発明を成し遂げた人物なら、優れた高等教育を受けたのではないかと想像する方も多いでしょう。しかし結論から言うと、グーテンベルクが大学や伝統的な高等教育機関に通ったことを示す歴史的資料や記録は一切存在していません。
大学進学を裏付ける記録はない
中世ヨーロッパでは、大学に在籍した人物の記録が入学簿や卒業名簿などに残されることが一般的でした。エルフルト大学やハイデルベルク大学など、当時ドイツ圏にはすでにいくつかの大学が存在していましたが、そこに「Johannes Gensfleisch zur Laden zum Gutenberg」の名前が見つかったという確実な史料はありません。
一部では、彼がエルフルト大学に学んだのではないかと推測する説もありますが、これはあくまで間接的な状況証拠に基づく憶測にとどまり、学術的に裏付けられた事実ではありません。
グーテンベルクの育った環境と実践的な教育
大学教育を受けていなかったとしても、グーテンベルクが無学だったわけでは決してありません。彼はドイツ・マインツの裕福な商人・貴族階級の家庭に生まれ、読み書きやラテン語などの基礎教養を身につけていたと考えられています。
特に重要なのは、金細工職人としての訓練です。父親がマインツ大司教の造幣局に関わる仕事をしていたこともあり、グーテンベルクは金属加工や鋳造の技術を若くして習得しました。この実践的な技術こそが、後の金属活字の鋳造という画期的な発明につながったのです。
実践の力が生んだ印刷革命
1430年代にはストラスブールへ移住し、研磨剤の製造や鏡作りなどの事業を手がけながら、印刷技術の研究を進めたとされています。そして1450年代にマインツへ戻り、可動式金属活字を用いた印刷システムを完成させました。
1455年頃に印刷された「42行聖書(グーテンベルク聖書)」は、西洋における本の大量生産時代の幕開けを象徴する出来事となりました。
まとめ
グーテンベルクは大学で学んだ記録がないものの、金細工師としての高度な技術と、裕福な家庭で培われた基礎教養を武器に、歴史を変える発明を成し遂げました。彼の人生は、必ずしもアカデミックな教育だけが成功への道ではないことを示す好例と言えるでしょう。