ヨーロッパの歴史

アレクサンダー・ハミルトンとトーマス・ジェファーソンはなぜ合衆国銀行をめぐって対立したのか?

経済観と政治哲学の違いが生んだ対立

アレクサンダー・ハミルトンとトーマス・ジェファーソンが合衆国銀行(国立銀行)の設立をめぐって対立したのは、両者の経済観と政治哲学が根本的に異なっていたからです。

ハミルトンは、経済成長と安定を促進できる強力な連邦政府を信じていました。彼は、合衆国銀行が政府の財政運営を支え、通貨供給量を調整し、商業の発展を促すと主張しました。一方のジェファーソンは、連邦政府の権限を最小限に抑え、州の権利を重視する立場でした。合衆国銀行が連邦政府に過大な権力を与え、富裕層だけが利益を得て一般市民が犠牲になると考え、設立に強く反対したのです。

ハミルトンの主張

  • 経済の安定と歳入の増加:独立戦争中、大陸会議が発行した紙幣は瞬く間に価値を失いました。ハミルトンは、合衆国銀行に安定した通貨を発行させ、将来のインフレを防ぐことを目指していました。
  • 商業と経済発展の促進:銀行が企業に融資を行えば、事業拡大や雇用創出につながると期待していました。また、道路や運河などの公共事業への資金提供を通じて、国家インフラの整備も進むと考えていました。

ジェファーソンの主張

  • 違憲であるという指摘:憲法には、連邦議会が合衆国銀行を設立する権限が明記されていません。ジェファーソンは、憲法に明記されていない以上、議会にその権限はないとする厳格な解釈を主張しました。
  • 富裕層に有利な独占への懸念:銀行は独占的な存在となり、富裕層が融資や投資で利益を得る一方、一般市民は締め出されると警告しました。さらに、連邦政府が経済を支配し、自由な競争を阻害することも恐れていました。

対立のその後

最終的にはハミルトンの主張が受け入れられ、1791年に合衆国銀行(第一合衆国銀行)が設立されました。同銀行は25年間にわたって営業を続けましたが、1836年にはアンドリュー・ジャクソン大統領によって閉鎖されました。

国立銀行をめぐる論争は19世紀を通じて続き、20世紀へと引き継がれました。そして1913年、連邦準備制度(FRB)が米国の中央銀行として創設され、この長い議論に一つの決着がつけられたのです。