ヨーロッパの歴史

第二次世界大戦中、ハンガリー人はドイツのために戦うことを強いられたのか?

第二次世界大戦中、ハンガリーはナチス・ドイツの同盟国として、ハンガリー軍が複数の戦線でドイツ軍と共に戦いました。しかし、この同盟関係は単純な「自発的な選択」ではなかった点に注意が必要です。ハンガリーは1941年以降、事実上ドイツの支配下に置かれ、国内各地にはドイツ軍が駐留するようになっていきました。

領土回復という「見返り」との引き換え

ハンガリーが枢軸国側についた背景には、第一次世界大戦後に失った領土を取り戻したいという強い動機がありました。1920年のトリアノン条約によって国土の三分の二以上と人口の多くを失ったハンガリーにとって、ナチス・ドイツとの協力は、隣国から領土を回復する絶好の機会と映りました。実際、1938年から1940年にかけてのウィーン裁定により、ハンガリーは南部スロバキア、カルパティア・ルテニア、北トランシルヴァニアなどの領土を回復しています。

徐々に深まるドイツへの従属

1940年11月、ハンガリーは日独伊三国同盟に加盟しました。翌1941年にはユーゴスラビア侵攻や対ソ戦(バルバロッサ作戦)に参加し、東部戦線へ数十万規模の兵力を送り込みます。ただし、これらの参戦は、ホルティ・ミクローシュ摂政政権にとっても、ドイツとの関係悪化や領土の再喪失を恐れてのやむを得ない選択であった面が大きく、国家の自主性は戦争の進展とともに次第に失われていきました。

ドン川の惨敗とドイツ軍による占領

1942年から1943年初めにかけて、ハンガリー第2軍はソ連のドン川沿いの戦線で壊滅的な打撃を受け、十数万人規模の死傷者・行方不明者を出す大損害を被りました。この惨敗を受けて、ホルティ政権は密かに連合国との講和工作を模索するようになります。これを察知したヒトラーは、1944年3月に「マルガレーテ作戦」を発動し、ハンガリーを武力で占領しました。

矢十字党による傀儡政権と悲劇

占領後もハンガリーは表向き主権を保っていましたが、1944年10月、ホルティが連合国との休戦交渉に動いたことを受け、ドイツはファシズム政党・矢十字党のサーラシ・フェレンツによる親独政権を樹立させます。この時期、ハンガリー在住のユダヤ人約44万人がアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所などへ移送されるという歴史的悲劇も発生しました。終戦まで、ハンガリー兵はドイツ軍の指揮下で戦わされ続けることになります。

まとめ:「強制」と「選択」の狭間で

結論として、ハンガリーの対独協力は、初期段階こそ領土拡大という利益を求めた半ば自発的な側面を持つものでしたが、戦争が進むにつれて実質的に拒否権を持たない状態へと追い込まれ、最終的には武力占領と傀儡政権のもとでドイツのために戦うことを強いられる形となりました。「同盟国」でありながら、その自主性は着実に奪われていったのです。