第二次世界大戦中、ナチス・ドイツが運営した大規模な強制収容所の多くは、ドイツ本国やポーランド、フランス、オランダといった占領地域に設置されていました。しかし、ベルギー国内にもナチス政権による拘置・移送施設が存在し、多くの人々がそこで過酷な運命をたどりました。
1940年5月、ベルギーはナチス・ドイツに占領されます。以降の占領期間中、同国はナチス体制による抑圧を最も深刻に受けた国の一つとなりました。
ブレンドンク要塞――政治犯の拘置所
アントウェルペン(アントワープ)近郊にあるブレンドンク要塞は、ナチスによって強制収容所として使用された施設です。ここには主にレジスタンス(抵抗運動)の参加者や政治犯が収容され、厳しい尋問や拷問が日常的に行われました。劣悪な環境と過酷な強制労働により、多数の囚人が命を落としたといわれています。現在この要塞は記念館として一般公開され、戦争の悲惨さを後世に伝える役割を果たしています。
メッヘレン収容所――東方への移送拠点
ブリュッセルとアントウェルペンの間に位置するメッヘレン(メヘレン)には、SSが管理する集合収容所(Sammellager Mechelen)が設けられました。この施設は、主にユダヤ人を東方の絶滅収容所へ送り出すための中継点として機能しました。
1942年から1944年にかけて、約25,000人のユダヤ人およびロマ(シンティ)の人々がこの収容所から貨物列車で移送され、その大多数はアウシュヴィッツ=ビルケナウで命を落としました。生き延びた人はわずか数パーセントにとどまったとされています。
まとめ
ベルギー自体が大規模な絶滅収容所の所在地であったわけではありませんが、国内にはナチスの抑圧機構の一端を担う施設が複数存在していました。ブレンドンク要塞やメッヘレン収容所は、占領下のベルギーがホロコーストという悲劇に深く関わっていたことを示す、重要な歴史的証拠となっています。