ヨーロッパ中世とは――古代と近世をつなぐ約1000年
中世は、ヨーロッパ史における重要な時代区分です。年代としては古代と近現代の間に位置づけられ、具体的には6世紀から15世紀にかけての約1000年間を指します。この長い中世は、さらに「初期中世」「盛期中世」「後期中世」の三つの時期に分けて捉えられます。
初期中世(6世紀~11世紀半ば):キリスト教の拡大とフランク王国
初期中世には、ローマやアイルランドを拠点としたキリスト教の宣教師たちが各国へと旅し、布教活動を行いました。その結果、ゲルマン民族の古来の信仰は、しだいにキリスト教信仰と混ざり合っていきました。
数百年の時を経て、ゲルマン民族の伝統的な信仰は次第に姿を消し、王国単位で民衆がキリスト教へ改宗していきます。かつてのローマ帝国の版図は、キリスト教圏とイスラム教圏に分かれました。さらにキリスト教圏の内部でも、西ヨーロッパのラテン(カトリック)圏と東ヨーロッパの正教会圏という二分化が進んでいったのです。
こうした初期中世において重要な勢力として台頭したのが、クローヴィス1世の統治のもとで確立されたフランク王国です。後継者であるカール大帝(シャルルマーニュ)は、この権力基盤をさらに強化しました。しかし彼の死後、中世フランク王国は複数の地域へと分裂します。西部からは後のフランスが形成され、東部の半分からは東フランク王国が生まれました。
初期中世の人々の暮らし
初期中世にも「自由な身分」の人々は存在しましたが、それは少数派でした。自由人の中心だったのは、広大な土地を所有する、あるいは王からの貸与を受ける富裕な貴族たちです。一方、人口の大多数を占めたのは不自由な身分、すなわち主人に従属する農奴でした。農奴の多くは貴族の荘園で小作人、使用人、女中として働き、主人の許可なしに土地を離れたり、思いの相手と結婚したりすることは許されませんでした。
この時代にはすでに貨幣という形のお金は存在していましたが、物々交換も依然として広く行われていました。初期中世の終わり頃になると、スカンディナヴィア諸国出身のヴァイキングたちが、特にヨーロッパ西海岸を狙った略海岸を狙った略奪遠征を繰り返すようになります。武装を完備した戦士たちは長船(ロングシップ)で海岸へ押し寄せ、村を征服し、付近の修道院を略奪し、住民を奴隷として連れ去りました。持ち運べないものは焼き払うことさえあったといいます。
その一方で、後にハンガリー王国を建国するマジャール人が東方から侵入しましたが、この民族は度重なる戦争の末に撃退されていきます。
衣類については、初期中世の服装は実用本位の仕立てが特徴でした。帯で締めた幅の広いチュニックやワンピースが主流で、身分による服装の違いはそれほど大きくありません。富の大きさはむしろ、宝石や武具の豪華さに表れていたのです。
盛期中世(11世紀半ば~13世紀半ば):経済成長と学問の発展
盛期中世には、ローマ教皇を強力な頂点とするカトリックの勢力がヨーロッパのほぼ全域を覆いました。経済の好況に支えられて中世の人口は急速に増加します。これを牽引したのが商業と手工業であり、商品としての貨幣の重要性はますます高まりました。その結果、中世イタリアに最初の銀行が誕生し、金銭の取り扱いが格段に容易になりました。
社会の拡大とともに教育への関心も高まり、最初の司教座聖堂学校や修道院学校、そして大学が設立されます。中世の学問における最重要分野は神学・医学・法学で、それぞれ信仰・癒し・法の研究に対応していました。絵画では聖書的な題材や自然を背景にした作品が主に描かれ、建築では特徴的な丸アーチを持つロマネスク様式が一般的な様式として栄えました。
服飾にも変化が現れます。体にフィットする仕立てへと移行し、男性は丈の短いチュニックに、体に密着したズボンや脚覆いを合わせるように。女性は華美でありながら体の線に沿ったドレスをまといました。下層階級は引き続き実用的な無地の衣服を好んだ一方、富裕層は装飾豊かで色鮮やかな衣装を身につけます。身分同士の差異がますます顕著になるなか、服装規定に関する最初の勅令も出されるようになりました。
十字軍と盛期中世の重要な発明
盛期中世には十字軍が始まり、聖都エルサレムをイスラム勢力から「解放」することを目指して軍隊が進軍しました。騎士は馬に乗り剣を振るって戦う軍の指揮官として活躍し、少数の騎士の周囲には徒歩の一般兵士たちが従いました。
盛期中世最大の成果の一つは、日常生活に大きな変革をもたらした数々の発明です。穀物挽き、製油、製材に用いられた強力な風車や水車、糸紡ぎ車、織機の改良、実用的な一輪車などはすべてこの時期に登場しました。歯車を使った時計も開発され、黒色火薬の爆発力も発見されています。
羅針盤はシルクロードを通じて中国からヨーロッパへ伝わり、航海術とその後の探検航海の飛躍的な発展を導きました。さらに中世には、「惑星系の中心にあるのは地球ではなく太陽である」という考え方が、革命的概念として広まり始めました。
後期中世(13世紀半ば~1500年頃):危機と変革の時代
後期中世には気候が著しく冷涼化し、収穫量は落ち込みました。その結果、深刻な飢饉と疫病が人々を襲います。14世紀にはペストの流行により、ヨーロッパ全人口の約半分が命を落としました。同じ時期にはイングランドとフランスの間で百年戦争が勃発し、こちらも多くの犠牲者を出しました。なおイベリア半島(現在のスペイン・ポルトガル一帯)にはイスラム勢力の支配域が広がっていましたが、この時代にはキリスト教側による国土回復運動(レコンキスタ)が進んでいきます。
後期中世にも重要な発明が生まれました。この分野の先駆者の一人が、あの天才レオナルド・ダ・ヴィンチで、彼はパラシュートの考案まで行っています。また、新しく登場した眼鏡のおかげで、視力の弱い多くの人々が小さなものを見たり文章を読んだりできるようになりました。製紙工場ではぼろ布から紙を作れるようになり、動物の皮から作る羊皮紙よりも大幅に安価な方法として普及しました。
ファッションにおいても、主に貴族の服装を起点とする新たな潮流が生まれます。教会を悩ませることとなりましたが、後期中世には女性服のデザインは露出度の高いものへと変化し、ブラウスとスカートからなる女性用最初のツーピース(セパレート)服も誕生しました。活発な交易と繊維産業の進歩により、多彩な生地や色彩が、貴族だけでなく台頭する市民階級(ブルジョワジー)の手にも届くようになったのです。
後期中世の重要な出来事
1450年、ヨハネス・グーテンベルクが可動式活字を用いた印刷機を発明し、初めて聖書を印刷しました。これがきっかけとなり、のちの宗教改革とキリスト教の分裂へとつながっていきます。
後期中世の終わりには、航海者ヴァスコ・ダ・ガマがアフリカ大陸を周回し、陸路ではなく海路でインドへ到達しました。これにより交易は拡大し、都市の職人たちに利益をもたらします。銀行も恩恵を受けて影響力を増していきました。そして建築では、ロマネスク様式からゴシック様式が発展し、やがて近代への扉を開くルネサンスへとつながっていくのです。
表紙写真:(c) Timo Skorzik、フォトコンテスト2015応募作品